バトンはランサーエボリューションにつながれる
だが、GTOの経験は無駄にはならなかった。三菱 ラリーアートは次の主戦車をより小型軽量で格下の2クラス車両となるランサーエボリューションに切り替え、僕も市販車開発に参画したエボリューションVは筑波サーキットで当時のR33・R34 GT-Rを市販車レベルで上回るサーキット走行性能を実現した。
排気量2Lのためクラス2参戦となったが、その速さは圧倒的であり、PUMAが引き続きメインスポンサーとなり、「PUMA ランサーエボリューション」へと発展していく。
これがPUMA GTOの足跡であり、国産スーパースポーツの可能性を追求した三菱との挑戦の記録だ。レース結果としては運に恵まれなかったが、N1という厳格な市販車規則の中でGTOの本来の潜在性能を鮮烈に刻み込み、後のランサーエボリューションの台頭へとつながった意味は極めて大きい。
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