約70年という日本車史のなかで、50年以上同じ車名を継続している車はクラウン、カローラ、スカイラインなど意外なほど少ない。1968年7月登場の三菱 デリカもそんな有数の歴史を誇る車種のひとつだ。2018年で50周年を迎えるデリカは、現行型「D:5」を4月に一部改良。ミニバンと4WDを融合した唯一無二の個性で苦境にある三菱の稼ぎ頭となっている。50年に渡りユーザーに深く愛されてきたデリカの歴史には、そのキャラを決定づけたモデルがあり、実はライバルの影響を受け大変更を施したモデルもあった!!
文:永田恵一、写真:中里慎一郎
珍モデルもあった初代デリカ
■初代(1968-1979年)
初代デリカは600kg積みの小型トラックでスタート。デリカの車名は「様々な道路状況において、確実に乗員や荷物を運ぶクルマ」というコンセプトに基づく“デリバリーカー”に由来しており、高度成長時代の物資輸送を支えた。
登場翌年の1969年4月には500kg積みのライトバン、ルートバン、9人乗りのコーチが加わった。
初代デリカで一番驚くのは、1972年7月登場の「デリカ キャンピングバン」である。同車は、この20年以上後に世に出るボンゴフレンディのようなポップアップ式ルーフなどを装備しオートキャンプ時代の始まりに対応。
キャンピングバンを見ると、この頃から現代まで続くデリカの「アウトドアに似合うミニバン」というキャラクターが芽生えていたことにデリカの強いDNAを感じる。
イメージ確立した“スターワゴン”
■2代目「スターワゴン」(1979-1986年)
2代目デリカの登場時に5ナンバー登録となる乗用車に「スターワゴン」のサブネームが加わる。
登場当初、ボディサイズの拡大による広いキャビンとラゲッジスペースの確保、2列目と3列目のフルフラット機能の採用が大きな特徴だった。
そして、1982年10月に小型キャブオーバー車としては日本初となる4WDが1.8Lガソリン車に追加。4WDは初代パジェロに使われたハイ、ローレンジの切り替えもできるトランスファー付で、最低地上高も190mmと高い上にグリルガードを装備。
さらにリアLSDや電動ウインチもオプション設定されており、人々が余暇やレジャーに対する出費が増やす風潮も追い風となり、2代目デリカでデリカ=4WD、「アウトドアに似合う」といったイメージを確立した。
■3代目「スターワゴン」(1986-1999年)
3代目は、衝突安全性の確保やウォークスルーのためセミキャブオーバー式に移行するという構想もあったものの、キャブオーバー式を踏襲。
いっぽう、ボディ構造はラダーフレームから軽量化やボディ剛性向上のためモノコックに変更された。
3代目モデルは、大きなサンルーフを四分割にしたクリスタルルーフ、テレビ、回転対座時に使う立派なテーブル、オフロード走行用の3連メーターが付き、2.4Lガソリン車も設定されるなどバブル期の時代背景を思い出す装備内容や仕様が懐かしい。
なお3代目は、4代目スペースギアの登場後も1999年まで継続販売された。
エスティマが変えた! 分岐点の“スペースギア”
■4代目「スペースギア」(1994-2007年)
4代目モデルでは車の構造をパジェロと深い関係を持つフロントエンジンレイアウトに変更。フロントエンジンとなったことでウォークスルーも可能なフラットフロアに。
エンジンは3L、V6も加わり、4WDシステムもパジェロ譲りの2WD、フルタイム4WD、4WDの直結ハイレンジとローレンジを選べるスーパーセレクト4WDが採用され、3代目以上のオフロード走破性を確保した。
50年のデリカの歴史において折り返し地点となるスペースギアだが、スペースギアはフロントエンジンレイアウトに変更された点でターニングポイントでもあった。
当時、商品企画の立場で開発に携わった三菱自動車OBの今崎剛氏は、当時の状況を次のように語る。
「スペースギアは、スターワゴンまでと同じキャブオーバーレイアウトで開発が進んでいました」
「しかし、トヨタから初代エスティマがミッドシップレイアウトを使ったフラットフロアで出た時『これではライバル車との差別化ができない』という強い危機感を多くの開発スタッフが感じました」
「そのおかげで、一気にフラットフロアでウォークスルーが可能なフロントエンジンが進みました」
このほか、開発中、社内にも多いデリカユーザーにプロトタイプを見せ意見を聞いたこと、用品(ディーラーオプション)を120種類も用意したこと、開発スタッフの一体感や関係が密接だったことが、スペースギアの成功の要因だったと今崎氏は言う。
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