とかく分かりにくい印象のある三叉路や四叉路。できればじっくり地図やナビをみて正しい道を選びたいものだが、もっと道が増えたら? そしてそれがよりによって信号のある交差点だったなら。企画担当、余裕でパニックに陥る自信満々である。
5本以上の道路が集まっている交差点のことを「多叉路(たさろ)」と呼ぶが、実は日本で最も多くの道が集まっていると噂される交差点が東京都内に存在する。それが東京都江戸川区の「菅原橋交差点」だ。
本誌連載「これは珍なり」よりご紹介。
※本記事は2017年7月のものです。
文・写真:ベストカー編集部
初出:ベストカー2017年7月10日号
■現在の形に落ち着いたのは約半世紀前
この交差点、場所はJR総武線新小岩駅方面から南東方向へ約1.5KMの地点にある。千葉街道、鹿骨街道、仲井掘通り、小松川親水公園沿いの街道の各2方向、同潤会通り、旧上八幡道、昭和初期頃の小路を足して、なんと計11の道が交差する「11叉路」となっているのだ。
幸いにしてこの交差点のすぐそばに警視庁小岩署菅原橋交番がある。ということで担当、さっそく現地へ向かい、この交番のお巡りさんに11叉路となった由来について話を聞いてみた。
が、お巡りさん曰く、「う~ん、昔はこのあたり一帯が田んぼだったからじゃないかな。とにかく広かったからだと思うけどね」と、ナイスな個人的感想を述べてもらうにとどまった。さぞかし、迷う人もいるだろうと思いきや、「いや、地元の人がほとんどだからか、道を聞かれることは少ないんだよね」とのこと。
そこで詳細を知るために、江戸川区郷土資料室の担当者に話を伺ってみた。
「そもそも江戸時代から存在していたのは千葉街道のみだったのですが、1805年(文化2年)の「葛西御場絵図」では元佐倉道中の橋に「菅原大ハシ」の名が確認できています。菅原橋の名は菅原道真を祀る天満宮(現北野神社)に由来しています。
1928年(昭和3年)に新小岩駅が開業し、1932年(昭和7年)には総武線をまたぐ形で上小松町・上平井町への道ができ、その数年後に鹿骨街道が直線で整備されました。また、住宅供給を目的とした財団法人の同潤会が松江村の神明耕地整理地区に436戸の住宅を作り、中央を南北に貫く同潤会通りができました。この道が1954年(昭和29年)頃に菅原交差点に接続されたそうです。
それで中井掘は徐々に暗渠(あんきょ=地下に設けられた水路のこと)となり、1970年代前半には現在の仲井掘通りになりました」
なるほど。由来はわかったが、これだけ複雑だと事故なども起きそうなものだけど、実際どうなのか? 小岩署交通課に聞いてみた。
「11叉路だけあって複雑な制御の信号で管理していますが、ここ数年は事故が起こっていませんね。周りのクルマの動きをよく見て慎重に運転しているドライバーが多いようです」
ちなみに日本全国でのほかの多叉路だが、東京都大田区の「七辻交差点」や東京都東村山市の「八坂交差点」、大阪府河内長野市の「本町交差点」の7叉路、東京都豊島区の「池袋六又交差点」(六叉路)、神奈川県相模原市の「橋本五差路」(五叉路)がある。
また、フランスのパリにはロータリー式の12叉路「エトワール凱旋門」がシャルル・ドゴール通りにある。
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