レッドブル・ホンダF-1の勢いが止まらない。破竹の快進撃だ。巷では「せっかくまた勝てるようになったのに撤退するのはもったいない。ちくはぐだ」とか、「終了宣言を撤回して継続参戦するのでは?」と言う人たちがいる。
一企業の方針に外野がとやかく言うのもどうかと思うが、それは「本田技研工業」というよりも「ホンダレーシング」がいかに愛されているかということの証明でもあるだろう。阪神電鉄とタイガースとファンの関係みたいなものだろうか。
そこで本日は阪神の超名投手「ザトペック投法」の村山実さん(11・永久欠番)について……ではなく、「セナ足走法」のアイルトン・セナとホンダについて、外野は外野でもわりと近くからの目撃者であった私の考察作文をお送りしたい。
文、写真/池之平昌信
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■近くで見たセナは「ストイックで真面目な人」
87~94年まで、彼のレース(F1GP)を88レースほど撮影した自分としては、「ストイックで真面目な人」という印象だ。
テレビ中継や観客の目線で、ちょっと違うかな? と思うのは予選の重要さがそれほど感じられないこと。レースでより多くのポイントを取ることはもちろん大切だが、予選において1/100秒でもチームメイトに勝つこと、セナの場合はポールポジションを取ること、に「全集中」していたのだと思う。
だから他のドライバーが日曜日の決勝を見据えてセッティングをしていたとしても、セナの場合は金曜の午前中から予選モードで走る。当然、木、金曜の夕方から夜もエンジニアらとしつこく、あれこれ真剣に話し合う。
美女だパーティだ、とサーキットから出ていくレーサーらとは対照的だ。F1GPは「セレブの社交場」という側面もあるのだが、そこはちょっとKY(空気読めないひと)だったのかも……。
さあ、そして土曜日の午後、予選終盤に決死のアタックをみせる。完走しなければ何にもならない決勝レースと違って、「吹っ飛んだっていい」覚悟で踏んでいく。
F1は速いのでクラッシュしたらたいへんなことになる。極端なことをいえばコーナーひとつごとに命を削って飛び込んでいくような感覚だろうか。自分はカメラマンとしてコーナーで待ち構えていたわけだが、そのアタックの周は明らかにコーナリング速度が高いので、カメラを振り遅れないようにするのに必死だった。
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