古いクルマ好きがどうしてもしてしまう慣習ってあるはず。たとえばエンジンをオフにする前に「フォーン、フォーン」とアクセルを煽るとか。
でも現代のクルマは信頼性もあがり、数多くの儀式は不要だし、むしろその習慣がクルマを痛めている可能性すらあったりするんです。
そんなクルマ界の儀式に意味があるのか迫ります。
文:鈴木直也/写真:AdobeStock
■忘れ去られた習慣はロストテクノロジーに
メディアで定期的に話題になるネタとして「死語」というテーマがある。
例えば「ナウい」とか「チョベリバ」みたいなカビが生えた言葉をとりあげて、「昔はこんなこと言ってましたねぇ」と笑い飛ばすやつだ。
でも、この「死語」みたいな現象、クルマの世界にもけっこうありますよ。
思いつつままに言葉だけ拾い集めてみても、三角窓とかチョークとかグリスアップとか、若い人には何のことだかわからない用語がゴロゴロ出てくる。
クルマの場合はどうしても技術用語が多くなる傾向があるが、技術が進化すれば古いコトバやモノは使われなくなる。やがて、それが落ち葉のように積もってロストテクノロジーの地層を形成してゆくわけだ。
そんな、クルマ界の忘れられた技術や忘れられた習慣について、ちょっと考察してみようと思います。
■暖機運転5分はもう必要ない?
昔の人は「始動してすぐ走り出すとエンジンを痛める」と教わっていたから、5分くらい暖気運転して水温計が動いてから走り出す習慣があった。
昔のクルマは今より「固いオイル」を使っていたから油温が上がるまではオイルポンプの送油能力が不十分だったし、ピストンやシリンダーの金属が膨張してクリアランスが適切な状態になるまで大きな負荷をかけたくない。
昔は5分間暖気にもそれなりにリーズナブル(編註:合理的)な理由があったのだ。
しかし、ウォームアップがまったく不要とまではいえないが、現代のクルマで5分も暖気運転するのはムダな習慣といえる。
じつは、今でも冷間時の始動はエンジン開発者にとって鬼門で、最近のエンジンはとにかく早く温度が上昇するよう工夫されている。
触媒の温度が上がらないと排ガス浄化がうまく行かない。水温油温が上がらないとフリクションが減らない。
最適運転温度にならないと燃費ベストなECU制御マップが使えない…。
つまり、エンジンを暖めるのは「エンジンを痛める」という古典的な理由からではなく、燃費と排ガス性能を早くベストな状態に持って行きたいがゆえ。
そこで5分もアイドリングで停止していたら、単なる燃料のムダ遣いになってしまうってことですね。
■エンジン設計者は慣らし運転は必須とは言わない
昔からクルマ好きの間で論争になるのが、慣らし運転をどうすべきかというテーマ。慣らし運転不要論を唱える人もいれば、入念に慣らしたエンジンは後々のパフォーマンスが違ってくるという人もいる。
ぼくの経験では、自動車メーカーのエンジン設計者で「慣らし運転は必須」という人に出会ったことはない。
もちろん、走行0キロでいきなりサーキットに持ち込むのは推奨しないが、入念に慣らし運転をしないと設計値のパフォーマンスが出ないなんてことは有り得ない。
慣らし不要とまではいわないが「現代のエンジンの工作精度はそんなに甘くないですよ」というニュアンスで話してくれる人がほとんどだ。
では、「じゃアナタは新車を買ったらいきなり全開にするの?」と聞かれるかもしれないが、それはもちろん「NO」だ。
自分で買った新車を初回点検前に全開でブン回すなんて、クルマ好きのすることじゃない。最低限、最初のオイル交換までは丁寧に乗って、じょじょに慣らしてゆくに決まってる。
つまるところ、慣らし運転というのは「気持ちの問題」ということ。現代のエンジンは慣らし不要といえるくらい機械精度は高いが、だからといって最初からブン回すのは気持ちのいいものじゃない。
慣らし運転も新車を買う楽しみのひとつなんだから、そういう気持ちでエンジョイすべきだと思うのですが。
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