どんなものにも作り手がいる。普通乗用車ならトヨタ、ホンダ、日産など、それとなくメーカー名をイメージできるものだ。それに対してバスはどうだろうか? ふとバス車両を思い浮かべても、普通のクルマほどメーカー名が連想されないばかりか、全く知らないくらいの反応で済ませてしまうのがノーマルと言えるかもしれない。
ではこのバス車両、どこのメーカーが作っているのだろうか? 日本国内で乗合バスが走り始めた黎明期まで遡り、今日に至るまでの主なバスメーカーを見てみよう。今回は高速道路に乗らない、いわゆる「路線バス」の車両を対象にしてみた。
文:中山修一
写真:中山修一/バスマガジン編集部
最初は外車に頼っていた!
【黎明期】
●ホワイト(アメリカ)
●ロコモービル(アメリカ)
日本で初めて乗合バスが走ったのは、記録が残っているもので1903(明治36)年と言われている。自動車自体が世の中に出回り始めた、ごく初期の頃であり、当然日本国内には製造技術がなかったため、海外から輸入した自動車が使用されていた。
現在のようなガソリン/ディーゼル内燃エンジンではなく、蒸気機関を積んでいたのも特筆される。どちらかと言えば、荷台を取り付けムリヤリ定員を増やした乗用車に近い姿形だったらしい。
【明治・大正・昭和初期】
●ウーズレー(イギリス)
●クレメントバイヤー(フランス)
●コマーシャル(アメリカ)
●シボレー(アメリカ)
●ダイヤモンドT(アメリカ)
●ビュイック(アメリカ)
●ホワイト(アメリカ)
●フォード(アメリカ)
●フィアット(イタリア)
●ロイド(ドイツ)
全国各地に路線バス網が広がった明治〜大正〜昭和初期にかけても、動力源が蒸気機関から内燃エンジンに変わった他は、依然輸入車が公共の足を支えていた。上記メーカーの自動車の中には、信頼性に乏しく故障が頻発したモデルもあったようだが、特にフォードとシボレーの車両が良く使われていたようだ。
この時代のバス車両はバス専用の設計ではなく、トラックの下回りに人を乗せる客室を取り付けたものが一般的だった。
日本のメーカーが大躍進
【昭和初期〜1940年代】
●石川島自動車製作所→いすゞ自動車・日野重工業→日野ヂーゼル工業
●川崎車輛(〜1942)
●東京瓦斯電気工業→いすゞ自動車・日野重工業→日野ヂーゼル工業
●トヨタ自動車工業
●中島製作所
●日産自動車
●三菱重工業→東日本重工業
昭和初期になると、輸入車と並行して国産バス車両の製造が叫ばれるようになり、日本国内の各メーカーでも路線バス用の自動車が作られ始めた。前にエンジンがあり、丸みを帯びた車体を載せた、いわゆる「ボンネットバス」の基本的な形ができたのも、この年代だ。変わったところでは、中島製作所による充電式バッテリーで走行する電気バスが、1937年に実用化したという記録がある。
【1950〜70年代】
●いすゞ自動車
●トヨタ自動車工業(〜1974)
●日産自動車(〜1972)
●東日本重工業→三菱自動車工業
●日野ヂーゼル工業→日野自動車工業
●民生デイゼル工業→日産ディーゼル工業
戦後〜高度経済成長期では、輸入車の姿があまり見られなくなり、戦前からバス製造を行ってきた企業が、合併などによって社名を変えながら操業を続け、ほぼ国内メーカーで路線バスの製造を賄うようになった。ボンネットバスから後ろにエンジンを積んだ箱型のバスへと、形が大きく変わっていった年代でもある。