■「金に糸目をつけるな、儲けようと考えるな」
開発段階では本田宗一郎さんも開発現場によく現れたのでしょうか?
「初代から2代目にかけての開発時は、オヤジ(本田宗一郎氏)が毎日のように開発現場にやってきました。最初のシビックの試作車に乗せると、『こりゃあ水があるから振動が起きるんだ』なんて言ってね、ウォーターホースをテープでグルグル巻きにして『これで振動が収まった』なんていうんです。むちゃくちゃですよ。会社に入ってからずっと一緒にやってきたから、3代目シビックの開発のころになると、オヤジが何か言ってきたら、聞き流すことと、やらなきゃいけないことの仕分けができるようになっていましたね。」
「オヤジの言ったことに対してボクが『こういうアイデアとこういうアイデアがあります』と答えると、オヤジは『なんで2つしかないんだ。オレに言うときは、アイデアは10個出せ、10個ないとゆるさん』と言うんですね。だからしょうがない、一生懸命10個考えるんです。『頭のあるうちに知恵を使え、使わないと何もできないぞ』と言われました。それと『金に糸目なんてつけるな、儲けるなんて考えるな』と、その2つはよく言われました。」
シビックはホンダとして初の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車ですが、それにまつわる思い出はありますか?
「もし3代目シビックが日本カー・オブ・ザ・イヤーのイヤーカーを獲得できたら、会社がハワイに連れて行ってくれる、という話を聞いていたんですが、そんなのまったくのウソでした(笑)。ハワイは無理だから、なんとかハワイアンセンターへ行くとか言い出したので、それじゃあダメだということで、みんなで熱海に行ったんです。そこで芸者をあげて宴会をしたら、花代が高くて『お前たち自分で出せ』と言われて、それでスッカラカンになって帰ってきました。ひどい話です(笑)。それが日本カー・オブ・ザ・イヤーの最大の思い出ですね。」
3代目シビックの方向性はどうやって決まったのでしょう?
「3代目シビックをこういう方向性、こういうデザインにと決めたのは、アメリカから送られてきたデザインスケッチです。今まで見たことがないデザインでした。それまでのクルマのドアにはサッシュが付いていましたが、このデザインにはサッシュはなく、限りなくフラッシュサーフェスされていました。リヤも継ぎ目がないフラッシュサーフェスになっています。フルドアを実現するにはかなり苦労しました。工場にも苦労を掛けました。」
「初代のインパネはトレイインパネを採用していたのですが、2代目の開発のときに「トレイインパネは法規で作れない」ってウソつくやつがいてやめたんですよ。まあ、これはウソじゃなくて解釈の問題だったのですが、そういうこともあって3代目ではまたトレイインパネに戻したんです。」
■「220万円で」と言ったら「高くて売れない、200万円で作れ」と言われて
ほかの上司の方ともいろいろなエピソードがありそうですね。
「6代目シビックの開発のときは、並行してCR-V(初代)を開発していました。CR-Vはシビックとは切り離しての開発だったのですが、ずっと川本さん(川本信彦氏、当時の本田技研工業社長)には黙っていました。そうしたら川本さんがどこからか開発車のことを聞きつけて、『お前、オレに黙って作っているらしいな』と言うんですね。だから『ええ、作ってますよ』と言ったら、『見せろ』っていうんで、しょうがないから見せました。」
「そうしたら『いくらで売るんだ』というんで、『220万円で』と言ったら『それじゃ高くて売れないから200万円にしろ』って言われて、あれこれ工夫してなんとか200万前後で売れるよう仕上げました。あれは苦労したな…。CR-Vは乗車位置とかにいろいろ工夫があって斬新だったんです。何か新しいものをやるときは、会社にちょっと隠しながらやらないとできないってボクは思っているんですよ。日産で開発をやっている人から『斬新なアイディアをどうやって会社に認めさせるんですか?』と聞かれたときは、『え、それは何も言わなければいいんですよ』と言ったらビックリしていました。言ったら『直せ』とか『やるな』って言われるから、何も言わずに進めるんです。」
伊藤さんは今もシビックにお乗りなのですか?
「最近のモデルでボクが気に入っているのは先代モデルの10代目セダンです。買って乗っていますよ。車高もヒップポイントも低くて、ボクの思うシビックなんですよね。歳だから低いヒップポイントは大変なんだけど、ボクが作っていた時代と同じ考えで作られていて、すごくうれしくて乗り回しています。」
「ボクは速いクルマが好きで、以前はインスパイアに乗っていたのですが、インスパイアは3Lでしょ。シビックは1.5LターボにCVTで同じくらいの加速をしますよ。この次はまだ決めていないけど、いいEVが出たら買ってもいいと思っています。乗りたいです。」
シビックはどうしてこんなに長い期間続いているのでしょう?
「ホンダという会社にとってシビックは本筋、本流…というか、『幹』にあたるようなクルマなんですね。新しいことや大事なことを詰め込むクルマ。そこからいろんな『枝』を生やしていって、いろんな派生車を出してゆく。だからシビックに開発のリソースをつぎ込んできたし、シビックは50年も続くクルマになった。ありがたいことだけど、この先はどうなるかわかりません。続いてくれるとありがたいですが、それだけじゃない挑戦も必要でしょうしね。」
伊藤博之氏
1944年生まれ、大阪府出身。
1966年、大阪市立大学工学部機械工学科卒業。
同年4月、本田技研工業(株)に入社し、(株)本田技術研究所 基礎研究ブロックに配属。研究員、主任研究員を経て1989年、本田技研工業(株) 四輪推進チーム(RAD)に認定、同企画開発室長。
2001年、ホンダR&DヨーロッパU.K 代表取締役社長 兼(株)本田技術研究所 常務取締役に就任。
2003年、(株)本田技術研究所 常務取締役に就任。
同年、首席顧問。2004年、定年退職。
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