セダンにもリトラを採用したホンダ
ホンダのリトラには、NSXもCR-Xもあるが、ここでは3代目アコードとプレリュードを推させていただく。
3代目アコードは1985~1990年に作られたモデルで、昭和と平成を跨いだモデル。けっこう真面目なセダンで、FF量産車では初めての四輪ダブルウィッシュボーンを採用。アルミのシリンダーブロックをいち早く取り入れたり、1985年日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞しているが、「フラッシュサーフェス」をウリにしたボディには、セダンなのにリトラクタブルライトを投入。
そしてプレリュード。1982年に登場した2代目プレリュードは元祖「デートカー」。ロー&ワイドなノッチバッククーペは、斬新なスタイルで、その低さを演出するのにリトラクタブルライトが一役買っていた。
国産車初のABS(当時ホンダはALB)が設定されたのもこの2代目プレリュード。ワイパーがワンアームだったのも目新しかった。1987年に3代目プレリュードにバトンタッチするが、リトラクタブルライトを含めスタイリングは2代目のテイストをそのまま継承。
メカニズム面では、ホンダの第一期F1挑戦時にシャシー設計を担当した佐野彰一たちが開発した、量産乗用車世界初の機械式4WSを搭載。
どちらもリトラクタブルライトにしてまでノーズを尖らせる必然性はなかったかもしれないが、当時の時代が尖っていたから、クルマのノーズも尖っていたのかも!?
リトラの名車「RX-7」を生んだマツダ
マツダはリトラクタブルライト好きのメーカーとして知られている、歴代RX-7をはじめ、ユーノスロードスターやファミリア アスティナ(兄弟車のユーノス100も)、12Aロータリーを積んだ3代目コスモもリトラクタブルライトだったが、どれか一台選ぶなら初代RX-7のSA22C。SA22Cがデビューした1978年はスーパーカーブームのちょうど末期。
ガルウィングドア、ミッドシップと並ぶ、スーパーカーの特徴だったリトラクタブルライトを、国産車ではトヨタ2000GTに次いで採用した本格的スポーツカーのインパクトは大きかった(SA22Cもフロントミッドシップ)。
スバル唯一のリトラ車はアルシオーネ
2ドアクーペのアルシオーネ(初代)は、スバル車で唯一のリトラクタブルライトのクルマ。スバルの社内デザイナー、碇 穹一(いかり きゅういち)のデザインといわれている。
「ザ・楔形」ともいえるアルシオーネのデザインには、リトラクタブルライトは欠かせないツールだったはず。しかし後継モデルのSVXには継承されず、1代限りの採用に終わってしまった。
いすゞはジウジアーロデザインのピアッツァに採用
当時はいすゞも乗用車を作っていた。名匠ジョルジェット・ジウジアーロが手がけた美しいハッチバッククーペの初代ピアッツァの目も、半眼・半目のリトラクタブルライト。グリルの細さと目の細さが、ピアッツァのアイデンティティにもなっていた。
2代目ピアッツァも可動式ヘッドランプカバーを備えていたが、デザインはのちに日産にヘッドハンティングされ、日産のデザイン本部長→チーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めた中村史郎が担当した。
ガンダムチックといわれた三菱スタリオン
最後は三菱。1989年に登場したGTOがリトラクタブルを採用している。このGTOはギャランをベースに、4WDや4WSといったいわゆる当時のハイメカを全部乗せにしたクルマ。スタイリングは当時のスポーツカーの基本は押さえつつ、マッチョさを強調したという感じで、リトラクタブルライトもその演出のひとつとして与えられた感じが否めない。
そういう意味では、スタリオン(三菱の青木秀敏がデザイン)のリトラクタブルライトの方がスタイリングにおける必然性があった。ちなみにスタリオンはガンダムチックといわれるが、ガンダムの放送は1979年。スタリオンは1982年のデビューだが、デザインはガンダムの放映以前に固まっていたといわれているので、影響は受けていない。そういう意味では、時代が要求した形だったのかもしれない!?
いかがだったろうか。マツダのFD3S以降、リトラクタブルライトが途絶えてしまった理由だが、米国で「規格型ヘッドライトの使用義務」が廃止されて異型ヘッドライトが解禁され、ライトのデザインの自由度が広がったことが大きい。対人事故の安全性への懸念やオーバーハング部分の重量増加、部品点数・コスト面でのマイナス、一部の国での終日点灯義務化や空気抵抗などの問題が重なったことも背景にはある。
とはいえ効率はともかく、リトラクタブルにはリトラブルにしか出せない味があることも事実。新しいリトラクタブルライトのクルマも見てみたいものだ。
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