初代ヴィッツが登場したのは1999年。あのコンパクトなボディに大人がシッカリ乗れる車内空間、そして経済性の高さ。売れに売れたヴィッツ。
そんな名車も最近は同じトヨタのラインナップであるアクアに主戦場を奪われ、現行型はなんだか魅力がないなんて声も聞こえてくる。
しかし担当が2018年にヴィッツのレンタカーを借りた時に衝撃を受けた。「あれ、こんなによかったっけ?」と。
ヴィッツの登場から約20年。その光と影に迫ります。
文:鈴木直也/写真:ベストカー編集部、トヨタ
■欧州市場向けだから自由に開発できた初代
初代ヴィッツが発売されたのは今から約20年前、1999年のことだ。
今のヴィッツ(2010年デビューの3代目)の評価は、おおむね「トヨタらしく無難なコンパクトカー」というものだが、じつは初代はかなり様子が異なっていた。
ヴィッツ以前にトヨタのコンパクトカーを代表していたスターレットと比べると明らかなのだが、初代ヴィッツはシンプルかつ機能的なのが特徴的。
初期のバリエーションは1L直4のみだったし、エクステリアもインテリアも従来のトヨタ流デザインとはひと味違うテイストで、ひとことで言えばトヨタっぽくない。
どう表現したらわかってもらえるか悩ましいが、スターレットがターボから女性仕様まで幅広いバリエーションを用意してなんとかユーザーの気を惹こうと一生懸命だったのに対し、ヴィッツは「わかる人だけ買ってくれればけっこう」という感じ?
市場に媚びていない孤高のイメージがあったのだ。それには明確な理由があって、初代ヴィッツはトヨタのヨーロッパ向け戦略車種として企画されたクルマだったからだ。
初代ヴィッツのデビューとあい前後して、トヨタは初の欧州生産拠点としてフランスのバランシェンヌに工場を建設する。
ヴィッツはそこで生産される主力車種として、欧州市場にターゲットを絞って開発された。つまり、日本市場はどちらかというとオマケ。そのため、強すぎるトヨタの国内営業に干渉されず、のびのび自由に造ることができたといわれている。
このあたりの事情を、当時の関係者から聞く機会があった。
「スターレットだと国内営業からあーしろこーしろウルサイのですが、ヴィッツは欧州メインだったのであまり彼らの目にとまらず、トヨタとしては珍しく自由に開発できたクルマでした。
ただし、最後に国内営業から横槍が入ったのが車名。ホントは全世界ヤリスで行くつもりだったのに日本だけヴィッツになったのはそのためです」
現在、某インポーター社長を務めるこの元関係者は懐かしそうに語ってくれたが、ユニークでやり甲斐のあるプロジェクトだったことは間違いなさそうだ。
こういう造り手側のモチベーションの高さは、専門家はもちろん敏感に感じるしユーザーにもきちんと伝わる。初代ヴィッツは欧州と日本のカーオブザイヤーをダブル受賞。
「欧州のユーザーにトヨタの実力を認めさせる」という開発コンセプトを見事に達成したのだった。もちろん、市場の評価も上々で、攻略の難しかった欧州マーケットでトヨタのシェア向上に大いに貢献。
ヨーロッパで認められた初のトヨタ車といっていい結果を残している。かくして、ヴィッツはトヨタのグローバルコンパクトカーとして順調なデビューを果たし、日本、欧州、北米、アジアとマーケットが広がってゆく。
2005年にはモデルチェンジが行われて2代目にバトンタッチ。デザインを見ればわかるとおり、これは初代のコンセプトを忠実に継承した順当なモデルチェンジで、この頃になるトヨタコンパクトカーの代表選手として、世界中で親しまれるクルマとなっていった。
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