商店街がバス専用のプラットホームに!
まず駅前からくねくねと続く行列の先に商店街のアーケードがあり、そこへ誘導される。前方から係員が1人ずつカウンターを使って人数を数えていき、バス1台に乗車できる人数になったあたりでプラカードを持った係員が間に入っていく。要するにバス1台当たりの最後尾表示だ。
アーケードの先頭まで行くとそこに待っているバスに乗っていき出発…となる。始めのうちはこの流れで、そして観客がどんどんと増えてくると今度はあらかじめ並べていたバスに区切っていった分を複数台のバスに一気に乗車させて、同時発車を指示する。
その間にも後ろからやってくる観客はアーケードの先頭まで誘導させて、空いた「プラットホーム」にバスを次々と「入線」させていく。
このやり方でどんどんと鈴鹿サーキットへ送り届けていた。バスは出発すると駅前通りから国道23号線中勢バイパスを経て鈴鹿サーキットの臨時バス乗り場へと到着する。周辺は住宅街であるが、バイパスはこの期間バス専用道となっていることもあって、思ったよりも早く着くことができた。往路は並んでいたのは約60分、乗車時間は約15分であった。
ちなみに運賃は降車後バス乗り場にある「改札」で支払いを行う。現金の場合は改札の係員に、ICカードなどの場合はバスに備え付けられている運賃箱が台車に置かれているので、そこへタッチして「出場」する。
このやり方だとバスの中で運賃精算のために人の流れが止まることがなく、素早く降車扱いをした後にバスはすぐに白子駅へピストン輸送に戻ることが可能となるので時間節約にはいい方法をとっていると感じた。
この「改札」は、専用の台車に1台の運賃箱をボルト留めし、AC100VからDC24VへのAC-DCコンバーターを介して電源を供給している「臨時改札用運賃箱」で、三重交通はこの改札機を何台も常備している。
このシステムは伊勢神宮への参拝波動輸送や、今回のような大型イベントでは定番の改札システムで三重交通ならではの経験に培われたものだ。
帰路は混雑が集中!
レースは雨の中スタートし、途中赤旗による中断も2時間という荒れた内容であったが、無事チェッカーを迎え、3年ぶりの開催となった「2022 F1 Honda 日本グランプリ」は閉幕した。
筆者はレース後のイベントなども堪能して帰りも直通臨時バスで白子駅へ向かうことにした。レース終了から1時間半が経過した19時すぎにゲートを出たが、帰りのバスに向かう行列はまだ収まることもなく伸びていて、ゲートの近くにまで迫っていた。
帰りは行きと違い、レース終了後一気に観客が移動するのでバス乗り場以外にも一般駐車場の出口、周辺道路も激しい混雑が続いていた。
改札は現地1か所で済む合理性!
帰りの流れは、まず駐車場の一番北側まで歩いた後に折り返して行きに降りたバス乗り場の方へ向かう。まず最初に見えてくるテントで手指の消毒を行い、次のテントの改札で運賃の支払いを行う。
その後に待機列の形成となるのだが、縦方向にだいたいバス5台分くらいの乗客が並べる列を作り、そこがスペースいっぱいになったらその横の列……という風に概ね10列ほどはあったかと思う。
その列の前方にバスが5台ほど並べられるので、最初の列からそれぞれバスへと案内され分乗していく。出発したらまたバスを5台ほど並べるという流れで運行していたようだ。帰りは並んでいたのは約90分、乗車時間は約20分であった。
まとめると、往路は着地のサーキットで降車時精算、復路は発地のサーキットで乗車前精算だ。要するに出場と入場を分け、それぞれに改札を設けることにより、運賃精算はサーキットだけの1か所で行う非常に合理的なシステムを構成していた。
こうして白子駅前に到着したのは21時少し前であった。すぐに白子駅から電車に乗り換える人、商店街にある居酒屋に消えていく人、駅前のホテルに向かう人等々、さまざまであるが筆者はそのまま帰宅の途に就いた。
今回「2022 F1 Honda 日本グランプリ」決勝日という一番混雑する日に直通臨時バスを利用してみたのだが、バス会社としてもできる限りバスのいない時間のないように本数を調整しながら運行していたようだ。
押し寄せる人の多さにバスではどうしても輸送の限界があるようで、行きも帰りも待ち時間はかなり長く感じた。
また行きは少しずつでも列は動いていたのでよかったのだが、帰りは待機列を形成したらしばらくはそこで止まったままになるので、その時間がとても苦痛に思えた。
加えてこの日は夜から再び雨が降り出し前方のバスの動きなども傘で見えなかったり、元々駐車場という場所もあり携帯の電波が不安定で情報を得ることもできなかったので、いつ動き出すのかという不安もあった。
もっとも混雑しているタイミングでの利用では、仕方のないことであるが、また来年のF1に向けて三重交通では様々な改善や対策が取られることだろう。
それらの問題点よりも、確立した波動輸送のシステムとノウハウを持っている三重交通だからこそ柔軟に対応できていたのではないかと感心の方が大きかったのもまた事実だ。