すでに懐かしいワードとなっている「国鉄」。いうまでもなく分割民営化前のJRグループの前身である国有企業だ。鉄道だけでなく、バスにももちろんそれは行われ、東日本エリア国鉄バスの民営化は2段階で実施された。1987(昭和62)年にJR東日本へ承継、その翌年に自動車事業が分社化された。ジェイアールバス関東はすぐに高速バス事業強化に乗り出し、特に高速夜行バス分野では、日本最大の事業者へと成長した。
(記事の内容は、2022年11月現在のものです)
文・写真/石鎚 翼
※2022年11月発売《バスマガジンvol.116》『平成初期のバスを振り返る』より
■高速バス用車両では様々な新機軸を打ち出し、日本のリーディングカンパニーに
JR東日本から独立したジェイアールバス関東がすぐに取り組んだのは首都圏を中心とした高速バスネットワークの充実であった。
独立1年後の1989(平成元)年には、広島、神戸、福井、金沢、青森、八戸、堺、高松と矢継ぎ早に長距離夜行路線を開設し、平成初期は路線網拡大に邁進した。
車両の多くは三菱製スーパーハイデッカー車で、後輪2軸のエアロクィーンWのほか、その後の夜行バスの顔ともいえる地位を築いたエアロクィーンMが多く投入された。
長距離路線には3列シート車が導入され、その後大阪線など4列シート車で運行されていた路線にも3列シート車の投入が進められた。
1991(平成3)年に開設された東京~下関線「ドリームふくふく号」(サンデン交通と共同運行)には日本の夜行路線バスとしては初めて2階建て車両が導入された。さらに乗車時間が14時間にも及ぶ長距離路線であることに鑑み、1階部分をサロンスペースとして供用した。
その後もシートの改良をはじめサービスや車両選定についてもジェイアールバス関東が業界をリードする企業となっていった。高需要の関東・関西間路線を中心にクレイドルシートや、ドリームルリエに搭載されたアドバンスクラス、プレシャスクラスなど、新サービスの創出に積極的に取り組んだ。
また乗務員運用等の面でも国鉄バス時代から培われてきた高速バス運行ノウハウが蓄積されている。
一方、一般路線バスは国鉄バス時代から民営バスの空白域や、地方ローカル線の補完路線など、採算の厳しい路線が多く、設立直後から整理縮小が進められ、平成年間では組織改正を伴う支店や営業所、駅の統廃合も進んだ。
車両は平成初期には国鉄から承継した所謂「国鉄専用仕様」「国鉄専用形式」のバスも多くみられたが、コストや供給者に制約があることから民営化後は市販モデルへと移行した。
また、外国製車両の導入にも積極的に取り組み、1990(平成2)年に導入されたネオプラン製2階建てバス(「ファンタジア号」用)を皮切りに、高速バスにも外国製車両を続々と投入していった。
一般路線バス用車両は、地域の特情に合わせ車両長や仕様などが多岐に渡ったほか、いすゞ製シャーシに日野製車体を架装した車両も国鉄では80年代まで購入していた。平成も中頃が近づくと一般路線バスには中古バスも投入され、一層のコストダウンが進められた。
ジェイアールバス関東は現在も高速バス分野では日本のリーディングカンパニーと言え、今後も斬新なサービスの開発に努めていくことだろう。
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