トヨタの敵はトヨタ!? 創業期の苦難から受け継がれてきたトヨタの経営イズム

■奥田体制でトヨタが変革

1997年登場の初代トヨタ プリウス。当時のハイブリッドシステムの製造コストを考えると、利益を度外視した価格設定ではとウワサされた
1997年登場の初代トヨタ プリウス。当時のハイブリッドシステムの製造コストを考えると、利益を度外視した価格設定ではとウワサされた

 章一郎氏後の1992年に弟の達郎氏が7代目社長に就任したが、病に倒れたことで1995年トップに立ったのが自販出身の奥田碩氏だった。

 奥田体制は「トヨタの敵はトヨタだ」としてトヨタ変革を打ち出した。「21世紀に間に合いました」のキャッチで初代プリウスを赤字覚悟で投入し、環境対応のトヨタハイブリッド車戦略を植え付けたのが奥田体制だ。その奥田氏はトヨタと豊田家について聞かれると「豊田家は尊重する」と答えていた。

 そもそも「豊田家」が持つトヨタ株は1%程度で創業家であってもオーナーではない。だが、トヨタにとって「豊田家」の求心力は独自のものがある。奥田体制下で豊田章男氏が42歳で1998年4月にトヨタとGMの米合弁生産会社NUMMIの副社長に就いて帝王学をスタートしているのだ。

 豊田章男氏は、2009年に「豊田家大政奉還」としてトヨタ自動車11代目社長に就任したが、リーマンショックによる赤字転落に加え米国での大量リコール問題を抱えての豊田家御曹司の社長就任は「嵐の中の船出」だった。

 だが、就任直後の米議会公聴会で「私はトヨタ自動車創業者の孫であり、すべてのトヨタ車には私の名前が入っております」と語って逆に信頼を得た逸話がある。

 「創業者の孫」という旗印を前面に出していくことで、次第にカリスマ的リーダーの実績を積み上げて豊田章男トヨタ体制は、この在任14年で業績は自動車業界で断トツとなり、トヨタグループでの豊田家の重みも増したが、次の佐藤体制はどうカラーを出して行くのか。

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