■1995年から早くもEVを打ち出していたスバル
中島飛行機を前身とするスバルといえば、一般ユーザーにとっては水平対向エンジン、シンメトリカルAWD(重量バランスが左右対称の4輪駆動)、SUVといった古典的なクルマ作りを行うメーカーという認識を持たれており、それによって独自のブランドイメージが形成されてきた。
そのスバルがこれだけEVに前がかりになって大丈夫か、スバルらしさは維持されるのか、というような懸念する声が聞かれるのは無理もない。
実はこのEV戦略、時代の変化に追われて打ち出したわけではない。スバルにとってEVは四半世紀以上も昔から是が非でもモノにしたい悲願の技術ジャンルだったのだが、そのことはあまり知られていない。
振り返るとスバルが初めてEVを販売したのは今から30年近く前の1995年。商用車の「サンバーEV」で、パワートレーンは直流式の電気モーター+5速MT、バッテリーは鉛電池という原始的なものだった。
が、それから5年後にはマンガン酸リチウムイオン電池を搭載し、交流電気モーターで駆動するという今のEVの技術パッケージを持つものに大きく進化した。
■驚異的な先見性で進めていたEVプロジェクトだったが……
さらにその2年後の2002年5月、スバルは社運を賭けたEVプロジェクトを新中期経営格「Fuji Dynamic Revolution-1」で発表する。高精度センサー技術を持つ長野日本無線、リチウムイオン電池技術を持つNECと共同で、バッテリーの劣化を防ぎながら高性能なEVを作る技術を確立し、EVシフトを加速させるという戦略だった。
当時、エコカーといえばトヨタが鳴り物入りで発売したハイブリッド車の初代プリウスが圧倒的な人気で、EVは普及するとしても遠い未来の話と考えられていた。このため、このニュースは大々的に報じられることはなかったが、紐解いてみると中身は極めて先進的なものとみられていた。
スバルはバッテリーセルごとの電圧だけでなく、温度や劣化度合いなどを精密に監視し、バランスを保つことがバッテリーパック全体の寿命を飛躍的に伸ばし、高いパフォーマンスを維持するのに何より重要と主張。そのためのベース技術をバッテリー、車体、センシングメーカーの3社共同で確立するというものだった。
どんなに優れたバッテリーであっても、使い方が悪ければ性能を発揮できず、寿命も劣化してしまう。今日、高性能のEVメーカーとして世界のEV市場を席巻する米テスラの技術思想と基本は同じだが、この計画が発表されたのはテスラ初の自社開発モデル、モデルSの発売より10年も前であったことを考えると、驚異的な先見の明であった。
スバルとしてはまさに乾坤一擲の電動化戦略だったが、悔やまれるのは当時の筆頭株主であった米ゼネラルモーターズがサブプライムローンショックによる経営危機で持ち株を放出し、その後電動化技術でハイブリッドを優先するトヨタの傘下へと資本が移動する過程で、この計画は頓挫してしまった。
それでもEV開発に未練が残るスバルは2009年、独自開発の軽EV「プラグインステラ」をリリースしており、当時、その開発責任者を務めたのは2023年6月21日の定時株主総会を経て、先代社長の中村知美氏(現会長)からバトンを引き継いで新社長に就任した大崎篤氏だった。
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