フェアレディZは、日産を代表する、世界に誇る量産スポーツカーの傑作である。車名からわかるように、歴代の「Z」は“究極の”そして“最高の”フェアレディであった。
1969年の誕生から半世紀、50年の節目を迎えるフェアレディZは、同じく50周年を迎えたGT-Rとは違った道を歩み、GT-Rにはない存在価値を育んできた。
そこで、フェアレディZが、これまで歩んできた道のりを、自動車ジャーナリストの片岡英明氏が解説。現時点で編集部が掴んでいる“次のZ”の情報とともに、フェアレディZの「これまで」と「これから」を紐解く。
文:片岡英明
写真:編集部、NISSAN
国内専用だったGT-Rと海外でも名を馳せた「Z」
ちなみに、Zとともに「GT-R生誕50thアニバーサリー」も発表された。このことから分かるように、日産を代表するスーパースポーツがフェアレディZとGT-Rなのだ。
両車は同じ時期に誕生し、常に高度なメカニズムと群を抜く速さを武器に、時代をリードしてきた。
フェアレディZは1969年10月18日にベールを脱いでいる。当時の社長だった川又克二氏はオープンボディにこだわったが、設計陣はクーペボディを推した。
速いだけでなく、夏でも冬でも快適で、気持ちいい走りを実現するためにはクローズドボディのほうが有利だと判断したからだ。この英断が、フェアレディZを自動車史に残る名車へと押し上げた。
GT-Rは国内専用モデルと割り切り、海外では発売していない。これに対しフェアレディZには海外でも販売した。ファンから「ズィーカー」のニックネームを与えられるとともに熱狂的なZマニアをも生み出している。
時代に先駆けて3速ATを用意し、快適なエアコンやパワーウインドウも選べるようにした。だから旧態依然とした欧州の老舗スポーツカーを生産打ち切りに追いやったし、ポルシェを慌てさせている。
当然だろう。ポルシェ911並みの高性能でありながら快適性は高く、しかもリーズナブルな価格設定だった。だから飛ぶように売れたのだ。
初代モデルは世界中で55万台の販売を記録するヒット作になり、日本でも8万台の販売を記録。日本での知名度はGT-Rのほうが上かもしれない。だが、世界で多くの人たちに知られているのはフェアレディZだ。
昭和から平成へ Zの進化と衝撃与えた「Z32」
1978年8月に2代目の「S130」系フェアレディZにバトンを託した。2代目はグランドツーリングカーとしての性格を強めたが、ユーザー層も広げた。
初代と比べると日本では影の薄い存在だったが、海外ではヒット作となり、41万台の販売を記録。初代と同様にアメリカの景色を変えてしまったのだ。
1983年9月に型式「Z31」を名乗る3代目がデビューする。セミリトラクタブル式ヘッドライトを採用し、心臓はVG系のV型6気筒SOHCターボとした。
だが、走りにこだわる日本のファンのことも忘れてはいない。1985年11月に投入した直列6気筒DOHCセラミックターボ搭載の「200ZR」は、それを証明したホットモデルだ。このZ31系フェアレディZも30万台を超える販売を達成した。
4代目の「Z32」系フェアレディZはバブルの頂点にある1989年7月に鮮烈なデビューを飾っている。3ナンバーのワイドボディは美しいフォルムだ。30年後の今になってもカッコいい。
メカニズムも最先端のものを積極的に導入し、サスペンションはR32系のスカイラインと同じ4輪マルチリンクとし、4輪操舵の「スーパーHICAS」も採用。欧州の一流スポーツカーを超えることを目指したのが4代目フェアレディZだ。
ライバルたちに、初代に劣らないほどの衝撃を与えた。奇しくも同じ年に登場したR32系のスカイラインとGT-Rも、スポーティな味わいに回帰し、ヒット作となっている。
北米では高性能なスポーツカーの保険料が高騰するなど、逆風が吹き荒れた。だが、Z32系フェアレディZは10年以上も第一線で活躍を続けたのである。
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