初代プリウスの初期モデルはハイブリッドバッテリーの無償交換を25年もの間続けていた。これだけでもスゴいことながら、24年3月でサービスが終了することに。当初から販売を手掛けていたトヨタ店は今どんな思いでいるのか!?
文:佐々木亘/写真:ベストカーWeb編集部
■永年保証は15年が基本!! 25年も続けたのは偉業すぎ
「21世紀に間に合いました」というキャッチコピーとともに、世界初の量産ハイブリッド車プリウスが誕生した。時は1997年12月、今から約25年も前のことである。
初期型プリウスは様々な問題を抱えていたが、最も大きな問題がハイブリッドバッテリーの不具合だった。
長期間使用されない場合や急激な加減速を繰り返すと出力制限警告灯が点灯する。
この事象が発生すると大抵の場合はハイブリッドバッテリー交換の処置がとられたのだ。
この現象が頻繁に発生したのは初代プリウスの初期型(NHW10 型)だ。2000年に登場したマイナーチェンジ後のNHW11型では大きく改善されている。
そこで1997年12月からMC前の2000年4月までに製造された10型を対象に、ハイブリッドバッテリーの無償交換を永年保証という形で対応することにしていたのだ。
ちなみにこの無料修理は永久ではなく永年の保証。永年とは長い間を指し、クルマにとってはおおよそ15年がいいところ。
これを四半世紀もやってきたのだから、トヨタには頭が下がるし、プリウスがいかに大切なクルマなのかがわかる。
ただ、これで初期型プリウスに長く乗り続けることが難しくなってしまった。ハイブリッドの先駆者の姿を見られなくなるのは非常に残念である。永年保証に長期間対応してきたトヨタ販売店も、思いはひとしおのようだ。
■謝罪の日々……初代があったから今がある!!
「10(イチマル)プリウスが消えてしまうのは、なんか寂しいですね。」
トヨタ店のベテランスタッフは、こう呟いた。営業マンも整備士も、寂しいと口にする。
その顔には悲しみに加えて、少しの安堵と満足感が交じり合っているように見えた。
初期型プリウスを新車販売したスタッフの多くは既に退職している。
だが、当時若手だった営業マンやエンジニアは、現在管理職として現場に残っている。話を聞いてみると、販売当時をこう振り返る。
「売り方はもちろん、使い方も、整備の仕方も手探りから始まりました。HV警告灯の点灯は何度起きたことでしょう。点灯のたびにオーナーさんに謝り、整備をしてプリウスをお戻しする。何度謝ったかはわかりません。次第にオーナーさんも慣れてきて、『また点いたからよろしく!』と当たり前のルーティンのようになりましたね。こういう関係を作ってくれたのもプリウスの力なのかなぁ。」
新車販売をしていなくても、スタッフの退職に伴う引継ぎなどで、若手営業マンが10プリウスオーナーを担当することもある。筆者も引継ぎで10プリウスオーナーの担当をしたことも。
10プリウスの担当をしていると、必ず謝る。何度も何度も謝りながら対応を繰り返していくと、問題だらけで大変なプリウスを軸にしてオーナーさんとの絆が深まっていくから不思議だった。
営業マンとしての肝となる部分を、プリウスを通して教えられたようにも思う。
トヨタが自動車メーカーとしてプリウスから学んだことは数多くあると思うが、販売現場の営業マンも整備士も、同じくらい多くのことを10プリウスから学んできた。
ハイブリッドが当たり前になった今だからこそ、世界で最も早くハイブリッドを取り扱ってきたという自信が、今の支えになっていることだろう。
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