■PR手法もユニーク、当時の若者の心をつかんだBe-1
さらにユニークだったのが、PR手法だ。Be-1の世界観を満喫できる「Be-1ショップ」を南青山にオープン。実車展示に加え、アパレルなどのBe-1グッズの販売も行われていた。販売は、月販400台限定で、販売期間は2年とされ、限定1万台という計画であった。その価格は、標準ルーフ車が、129万3000~134万8000円、キャンバストップ車が、139万3000~144万8000円であった。
発売が発表されると、Be-1を手に入れよと、全国の日産ディーラーには購入希望者が殺到。発売直後となるベストカー1987年3月10日号では、そのフィーバーぶりを「クルマ界の新人類Be-1快侵撃」の見出しで伝えている。
その内容を抜粋すると、「ディーラーでの競争率が高い地域があり、群馬県内で16倍、愛知県では48倍に達している」、「顧客の中心が20代で、全体の25%が女性」などと全国で人気が高く、さらに若者の心をしっかりと捉えていたことが伺える。
結果的に、早々に予約台数は埋まることになり、実用車ながら、プレミア価格の中古車が流通するまでの大ブームに。この成功が、後のパイクカーシリーズ「パオ」や「フィガロ」へと続いていく。
■ヘリテージコレクションにはリリーフカーが!
日産ヘリテージコレクションには、標準車とキャンバストップの両方が収蔵されているが、今回、ご紹介するのは、当時、最も有名なBe-1ともいえる「Be-1横浜スタジアムリリーフカー」だ。同車は、発売と同時に、横浜ベイスターズの本拠地である横浜スタジアムに配備され、活躍したものである。
新車時のトマトレッドのままと思われるボディは、大胆にルーフと全面ガラスがカットされたフルオープン仕様で、後席まで取り払われている。ボンネットには、PR用に「NISSAN Be-1」の巨大なステッカーが張られているが、ひと目で「Be-1」とわかる愛嬌たっぷりのスタイルはキープ。
シートは、フロントの2座のみとなるが、マウンドまで送迎する救援投手が観客からよく見えるように、床面が一段高くなっているのも専用仕様のひとつ。シートは、ベースのものが流用されるが、雨天利用も想定し、フルビニールカバーが施されている。このため、新車当時のシートの色や風合いを見ることができる。
車内を確認してみると、トランスミッションは、3速ATで、ダッシュボードは市販車のまま。その洒落たホワイトメーターを確認してみると、走行距離は約1100kmと非常に少なかった。
走るコースは、マウンドとの往復くらいのものだから、それも当然か。その現役稼働期間はわずか2年と短いものであったが、同期のエスカルゴのリリーフカーとともに、ゲームの盛り上げ役として活躍した。
■現在のリリーフカーの座はリーフに継承
2007年より日産自動車は再び横浜スタジアムに、リリーフカー仕様の日産リーフを提供している。ただ、現在活躍中のものは現行型ベースの2代目に切り替えられており、初代リーフベースのリリーフカーは引退ずみ。
現在は外装のデカールなどが取り払われているが、日産ヘリテージコレクションに収蔵されており、Be-1リリーフカーとともに仲よく展示されている。
大量生産されたベースの初代マーチはすっかり見なくなったが、Be-1は大切にされていた固体も多いようで、今も中古車として状態のよさそうなものが流通している。
今のクルマは、ちょっと愛嬌にあふれたクルマが少ない。先進技術だけでなく、再び愛らしいパイクカーにも挑戦して欲しいと思うのは、私だけではないはずだ。
【画像ギャラリー】パイクカー第1弾の「日産Be-1」は現在のレトロブームの先駆け的存在として38年前に誕生!(31枚)画像ギャラリー
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