2024年、世界はSUVで溢れていた。セダンは淘汰され、トヨタのクラウンは絶滅したかに見えた。しかし、クラウンは姿を変えて帰ってきた。ある時はSUVに、またある時はハッチバックにと世界に合わせて変化を遂げたのだ。今回はそんなクラウンの今と未来を考えていこう。
文/佐々木 亘、写真:TOYOTA
■ゼロから作り出すのがクラウンの基礎
豊田喜一郎が抱いた、クルマづくりにかける情熱からクラウンはスタートする。
「日本人の頭と腕で国産初の乗用車をつくり、人々の暮らしを豊かにする」。
海外OEMが主流の時代に、純国産技術だけで国産初の乗用車を完成させた。
乗用車専用シャシー、ダブルウィッシュボーン式フロントサスペンション、オートマチックトランスミッションなどに、日本の技術を詰め込んだ初代は、アメリカへの輸出へも挑んでいる。
前例のない挑戦をし、自身が前例となる。ゼロから作り上げるという初代クラウンの思想は、現行型のクロスオーバーやスポーツの誕生にも影響を与えているだろう。
彼らは、セダン一辺倒だったクラウンから、ゼロベースで誕生してきたクルマだ。「ゼロ」というのは、クラウンに欠かせない普遍的な思想。
一定期間の進化を経て、またゼロへと立ち戻る姿は、2003年の12代目ゼロクラウンでも見てきている。
そろそろゴールと思える頃に、またスタートへ戻るクラウンの生き様。
現行のクラウンもスタート位置につき、世界というゴールへ向けて歩みだしている。
■失敗がクラウンを、そしてトヨタを強くした
70年近く続いていれば、中には失敗作と言われる世代もある。4代目のくじら、保守にまわったと言われる9代目、若返りを図った15代目などだ。
クラウンの進化や変化が、世の中とかみ合わず、厳しい声を向けられた世代である。デザインの進化、装備の進化、走りの進化を掲げた各世代。
ただ、そもそも「進化」というスタンスが、クラウンには合わないのかもしれない。
ゼロベースに戻り、経験を糧にチャレンジを繰り返す方が、クラウンらしさが出る。
ただ、こうした失敗があったからこそ、今のクラウンのカタチがあると言ってもいい。
斬新なデザインは、洗練された魅力とともに出さねばならぬというのは、4代目から教えられたことだろう。
スポーツやクロスオーバーのような光る個性の出し方は、9代目の失敗があってこそ分かるものだ。
そして、過去と現在の懸け橋になっているのが15代目。「未来とつながるか」と掲げられたクラウンが、歴史と文化、発展を今に繋げている。
数々の失敗がクラウンを強くした。そしてクラウンでの失敗は、トヨタ自身を強くしている。
革新と挑戦のDNAがクラウンのスピリットだと気づき、新たなクラウンを印象付ける4タイプが完成したのだ。
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