ダイハツがトヨタの完全子会社となって丸3年が経過しようとしている。経営難によってトヨタに吸収されたのではなく、この先ダイハツが生き抜くための手段としてトヨタの完全子会社となることを選択した。
完全子会社になって3年、ダイハツの状況が気になる。大きく変わったのか? まだ主だった動きはないのか? 新たな動きが出てきたのか? などなどダイハツの変貌ぶりを御堀直嗣氏が考察する。
文:御堀直嗣/写真:TOYOTA、DAIHATSU、平野学
ダイハツは2016年8月にトヨタの完全子会社化
ダイハツは、3年前の2016年8月にトヨタの完全子会社となった。直前の7月に株式の上場が廃止となり、1907年に発動機製造(1951年に現在のダイハツ工業へ社名変更)として創立した100年を超える歴史に一旦幕を閉じた。
しかし、ダイハツが無くなったわけではなく、今後はダイハツが軽自動車及び小型車の開発で中心的存在を担い、なおかつ新興国へ向けた小型車開発でも軽自動車開発で培った知見を活かしていく存在へと明確化された。
当時の三井正則社長は、「これでこの先100年へ向けた成長の道筋を描くことができた。 ~中略~ そして、ダイハツブランドの世界基準への進化に踏み出していきたい」と抱負を語っている。
新型タントのデビューが意味するもの
それから約3年を経て、ダイハツの主力軽乗用車であるタントがフルモデルチェンジをして4世代目となり、ここに完全子会社化後初となるDNGA(ダイハツ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)が投入された。
DNGAと聞くと思い浮かべるのはTNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)ではないか。
頭のブランド名を変えただけの流用ではないかと思われがちだが、ダイハツが軽自動車で培った「良品廉価」の技術を活かし、そのうえでプラットフォームのみならず、エンジンや変速機などを刷新して誕生した次世代軽乗用のDNGA第一弾にタントは位置付けられている。
詳しい車両紹介はここでは控える。そして、完全子会社化以後のダイハツの変貌や進化を検証してみたい。
新生ダイハツが担う3つの事業
完全子会社化された2016年の12月に、トヨタとダイハツによる新興国小型車カンパニー発足が発表され、翌2017年1月から正式に発足した。これは、トヨタがレクサスから始めたカンパニー制度の一環といえる。
事業内容は主に3つで、新興国におけるトヨタ車の車種構成や全体戦略の立案など企画業務/新興国向け小型車の開発は基本的にダイハツが行い、その責任や最終確認を担う/ダイハツ主体の開発の支援を行うなどとなっている。
今回、軽自動車のタントとして開発されたDNGAによるプラットフォームも、新興国向け小型車用の礎となる技術が織り込まれているとみられる。
新興国向けの小型車については、販売価格に影響を及ぼす原価の追求はなお厳しさがあり、軽自動車で培ったダイハツの良品廉価が最大に活かされる部分であろう。
ダイハツはこれまでもインドネシア向けなどの小型車を開発・製造し、販売してきた経緯があるが、トヨタの車名を冠した小型車にも開発の責任を負うとなれば、より一層の原価低減と品質の保持が求められるはずだ。
選択と集中といった仕事振りがより強化されることになるだろう。
そうした仕事の仕方の方向性が明確化されたことを、社員として実感する場面があると広報部の回答にある。
そのダイハツらしさとは「1ミリ、1グラム、1エン、1秒」にこだわる姿勢だという。その姿勢が、13年間連続軽自動車販売1位という成果(新型タント発表会での奥平総一郎社長の挨拶から)も、もたらしたのだろう。
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コメントの使い方今回の不正問題はこの記事の内容と繋がっているのかな