今でも中古車市場で高い人気を誇るカムリ。安全装置に加え、ハイブリッドやエアログレードの設定など魅力的なクルマではあったが、なによりよかったのがそのサイズ感だ。新型のクラウンは正直デカすぎて取り回しがキツイし、カローラだと高級感が足りない……そんな悩みを全部解決できたのがカムリだった。頼むから復活してくれよ!
文/佐々木 亘、写真:TOYOTA
■カムリは新しきセダンの肖像
1986年8月から1990年7月まで販売されていた3代目カムリ。Grand Family Saloonと銘打ち、ベーシックな性能を究めて作り込まれた、真面目を絵にかいたようなセダンだ。
当時流行していたマークⅡを代表とするハイソカーの影響を受けつつも、柔らかな曲線が各所に使われたボディデザインには、愛らしさを感じる。
FFベースの車内は、空間の余裕が大きくあり、時代背景も相まって豪華な内装があしらわれた。
特にマルーン(深いワインレッドのような色)の内装色は、高級感と温かみがあり、カムリの車格を1ランク以上高めているだろう。
また、グランドツーリングの新しい世界を広げる、GTグレードも用意。フォーマルもスポーツも、どちらもこなせる万能セダンなのだ。
基本コンセプトは、家族4人が快適に移動できるセダン。しかし3代目カムリは、中高年はもちろん、30代以下の若年ファミリーや単身者にも愛された。
もっと若者向けのクルマが多くあったこの時代に、なぜカムリに注目が集まったのだろうか。
■最新技術とデザインの融合
カムリが人々の注目を集めた要因は、各所の融合にあると思う。
特に、クルマのデザインは、トレンドや感性だけで作られるものではない。カーデザインと最新テクノロジーの融合が必須であり、カムリはこれを高い次元で成立させている。
ハードトップの雰囲気を残しつつ、ボディ前後を絞り込んで曲面を作り上げた。各所に曲面があることによって、ライトなどアイテムがうるさく感じないのだ。
また、当時としては大変だったフラッシュサーフェス・ウィンドウが、全体の調和を生み出す。ドアガラス面とドアフレームの面の段差は、わずか4mm、フロントガラスとモールの段差はわずか3mmしかない。
空力や風切り音の低減に寄与するとともに、徹底した面一構成が、クルマ全体を一つの塊に仕上げている。
技術があり、ふんだんに使っているのだが、その技術を決してひけらかさない。現在ではこうしたクルマの作り方は、ミニバンが得意としているだろう。
対して現代のセダンは、先進性やテクノロジーに引っ張られすぎて、見ていても乗っていてもどこか疲れてしまう。大衆がホッと一息つける空間になっていないのだ。
■クルマをもっと身近な存在にするのがセダンの役割
プリウスやクラウンも世界へ向けて発信され、国内需要を中心に作られたクルマとは言い難い。ミニバンのように、国内を軸に考えられたクルマが少なくなり、国内のセダン需要も大きく落ち込むこととなった。
セダン開発はますます海外へ目を向けることとなる。国内のセダンは育たず、人気もますます落ちるだろう。まさに負の連鎖だ。
3代目カムリでは、V6エンジンを搭載したプロミネントが登場し、これはのちにES250となって北米市場に投入される。
日本市場を主眼に置いて設計したクルマでも、ESのように十分世界で戦えるのだ。日本車なのに、なぜ世界で戦うために世界向けのクルマを作り続けるのか。日本のセダンは、日本に向けて作ってほしい。それでも十分海外でも売れるはずなのに。
尖りすぎたデザインや性能は、今も昔も流行の一瞬だけ人気になり、飽きられてしまう。
長く日本で愛されるのは、少し物足りないくらいの「ふつう」のクルマだと思う。日本のセダンに必要なのは、奥ゆかしさと愛らしさだ。
3代目カムリのように、偏りが無いセダンが今の日本には必要だろう。論語の中に‘‘中庸の徳たるや、それ至れるかな‘‘という一節がある。
過不足なく偏りのない徳は、修得者が少ない高度な概念であるが、これを実現するのが日本のクルマづくりではないだろうか。
中庸こそ日本のセダンが進むべき道である。温故知新が、国内セダン復権のカギだ。
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