本来ならばライバルのはずの自動車メーカー同士が、共通の目的に向かって提携を行った場合、これが成功につながることがあれば失敗に終わることもある。そんな“呉越同舟”の歴史と成否はいかに?
文/長谷川 敦 写真/スバル、トヨタ、日産、ホンダ
■なぜ複数のメーカーが共闘するのか?
つい先日、日産とホンダの電気自動車(EV)共同開発に関する発表が行われて話題になった。
正確には「自動車の電動化・知能化時代に向けた戦略的パートナーシップ」の検討を開始したという発表であり、まだ具体的な提携内容は決まっていないとのこと。
とはいえ、これまであまり接点のなかった国内ビッグメーカー2社の提携は大きなニュースであることに代わりはない。
普段は仲の悪い別国人が、難を逃れるために共同作業にあたることを指す言葉が「呉越同舟」。紀元前の中国に由来のあるこの故事成語は、自動車メーカーの共闘でも使われることがある。
そんな呉越同舟の目的はさまざまだが、主に経済的な理由と地理的な理由、そして技術面での理由がある。
今回の日産・ホンダの提携は、そのテーマにあるとおり技術面に関するものだ。
現在EVの開発や販売において、中国をはじめとする新勢力の台頭は激しく、これまで上位にいたビッグメーカーがある種のあせりを感じていても不思議はない。
そこで日産とホンダの両社がそれぞれの技術を合わせることにより、さらなるアドバンテージを確立するのが目的と考えられる。まだ本格的に始まってもいない提携の成否を考えるのは尚早であり、その判断は未来の評論家に任せるしかない。
そこで我々は歴史に習うことにして、過去に注目された自動車メーカーの呉越同舟がどのような結果になったのかを見ていこう。
■一定の成果を出せた呉越同舟2選
■日産&ルノー
1990年代後半、バブル景気崩壊の余波と無理な開発・販売計画の失敗により、それまで国内ナンバー2の地位にいた日産は、国内シェアでホンダに後れをとるなど、深刻な経営危機に陥っていた。
そこで持ち上がったのがフランスのルノーとの資本提携だ。フランス屈指の自動車メーカーであるルノーが1999年に日産の株式を取得し、日産はルノー傘下の子会社になった。
ルノーでは日産の経営を立て直すためにルノーの副社長だったカルロス・ゴーン氏をCEOとして送り込み、大胆なリストラをはじめとするコストカットを実施した。
日産での晩節を汚した感はあるゴーン氏だったが、この時の改革によって日産をよみがえらせたのは事実だ。これで窮地を脱した日産はその後堅実な経営再建を進め、2023年11月にはルノーとの資本関係を見直して、子会社から対等のパートナーとなるまで復活した。
イーブンの関係になった日産とルノーの今後は不明だが、少なくとも日産にとってルノーとの呉越同舟は成功だったといえるだろう。
■トヨタ&スバル
2012年、かつての人気スポーティカーの型式名を継承したFR2ドアモデルのトヨタ 86がデビューした。
現在でも高い人気を保つトヨタのAE86型スプリンタートレノ&カローラレビンに由来する名称を持つ86は、FRということと、2ドアであること以外はAE86と技術的関連のないモデルだったが、ファン待望のFR2ドアモデルは好調なセールスを記録した。
しかし、この新生86には他メーカーから販売される兄弟車があった。それがスバルのBRZだ。
トヨタとスバルの業務提携がスタートしたのが2005年。それまで米国のゼネラルモーターズが保有していたスバル株式の一部をトヨタが取得し、スバルの筆頭株主になったのがきっかけだ。
ここから両社の本格的な提携が始まり、その結果誕生したのがトヨタ 86/スバル BRZだった。この提携は現在も続き、86&BRZは初代と同様の体制でモデルチェンジを実施し、さらに両社はEVの開発・販売でも提携を行っている。
現時点において、トヨタとスバルの提携は成功といってよいだろう。
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