■レースの伝説のシーン
それはスカイラインGTがデビュウした1964年5月「第二回日本グランプリ」でのことだ。スカイラインGTがエントリイする「GT-II」クラスには、突如送り込まれたポルシェ904カレラGTSが走るという。
ポルシェはそれこそレース専用に開発されたようなミドシップ・スポーツカーだ。いくら高性能エンジンを搭載したからといっても、サルーン・ボディのスカイラインに勝ち目はない。
結果は予想通りポルシェの圧勝となるのだが、スカイラインGTがポルシェの前に出る一瞬があった。そのときの沸き返ったサーキットのようすが目に浮かぶ。それこそ語り草、というものだ。
100台限定でつくられる筈の「スカG」は、寄せられる声に応えて量産が決定される。
125PSエンジン搭載モデルをスカイライン「GT-B」、別にシングル・キャブで105PSの「GT-A」もラインアップされ、「スカG」人気が定着。型式S54Bから「54B(ゴーヨン・ビー)」と愛称され、赤地のGTエンブレム(「GT-A」は青地)とともに、シンボリックなモデルになったのだった。
エンブレムの地色など、そのまま「GT-R」にも引継がれ、クルマ好きの伝説にもなっているのはご存知の通りだ。
【著者について】
いのうえ・こーいち
岡山県生まれ、東京育ち。幼少の頃よりのりものに大きな興味を持ち、鉄道は趣味として楽しみつつ、クルマ雑誌、書籍の制作を中心に執筆活動、撮影活動をつづける。近年は鉄道関係の著作も多く、月刊「鉄道模型趣味」誌ほかに連載中。季刊「自動車趣味人」主宰。日本写真家協会会員(JPS)
コメント
コメントの使い方R380も是非見せてほしいですね。
プリンス自動車とは、立川飛行機の技術者有志がたちあげたたま電気自動車である。ボディを製造し、エンジンを富士精密から取り寄せ乗用車を販売。両社の資本家であった石橋正二郎によって合併、富士精密とし、車名はプリンスとした。なおプリンス自動車とは、たま電気自動車の社名で、ボディ架装は太田自動車で行っており倒産後、技術者がプリンス自動車に移り、初期軽トラサンバ₋開発に携わった。技術の日産?あり得ません
訂正:太田自動車はボデイ架装を担当してましたが倒産後、技術者はプリンスと一部の技術者は富士重工に。