■まとめとして
いかがだっただろうか。実に様々なクルマたちが時代を彩っていったことがわかる。懐かしさを覚える人も少なくないに違いない。
ただ冒頭でもお話ししたことが、担当的には、今回取り上げてもらったクルマたちのなかで間違いなく「国民車」と呼んでいいのは、いいとこヴィッツ、フィットまでなのではないかと考えている。
価値観が多様化し一つのクルマに関心が集まりにくくなったから…など理由はいくつか挙げられるだろうが、その一番の要因は価格である。
これも冒頭でお話ししたことだが、国民車に相応しいクルマの条件として「性能よく」「コストパフォーマンスよく」「使い勝手よく」の三拍子が大事だと述べた。しかしながら「コストパフォーマンス」というものの大前提には、「庶民の手に届く価格」があるべきなのでは? と、どうしても考えてしまうのだ。
初代ヴィッツの初登場時の価格は、MT車で約91万円、AT車で100万円を切った(新車価格)。
これがヴィッツ・フィットの次に取り上げたプリウスになると、その新車価格は約232万円にまで跳ね上がる。N-BOXの最低額は138万5640円(現行車・G ホンダセンシング・2WD)、最後に取り上げたタンク・ルーミーも146万3400円(現行車・X・2WD)だ。
もちろん紹介してきた覇権争いの背景には、開発陣の思いであったり、血の滲むような企業努力があることはよくわかっているつもりだ(そして当然のことながら、ヴィッツ・フィットの後に取り上げられたクルマたちを揶揄するような意図もない)。
しかしながら、「次の国民車」と呼ばれるべきクルマは、(期待も超込めて言えば)やはり新車価格100万円を切るか切らないかのところで出てくるべきではないかと思うのだ。
一見暴論とも思えるような意見かもしれないが、革新は常に暴論のように見えるものなかから生まれてきた(とまとめてみる)。次の時代の「覇権」を担うためにも、メーカーさんにはぜひとも頑張っていただきたい。
【番外コラム】 あの国の国民車といえばコレ
「国民車構想」とは、国や政府が国民のために安くて性能のいいクルマを提供する構想。
一番よく知られているのはドイツでヒットラーが1933年にぶち上げた国民車構想(この時同時にアウトバーン構想も発表された)。
その国民車の設計に携わったのがポルシェ博士。博士に課せられた課題は、「丈夫で長持ち」「大人2人と子供3人が乗れること」「連続巡航速度が100km/h以上であること」などであった。
その課題に答えたクルマがVWのタイプ1(ビートル)の原型となる「タイプ60」。それを戦後低価格で国民に売り出した。
おもしろいのはタイプ1を売り出す時、国民にクーポン券による積み立てで購入費用を貯蓄し、満額に達した者にクルマを引き渡すということも行われたこと。
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日本では旧通商産業省自動車課が1955年5月18日に国産自動車技術を前提とする「国民車育成要綱案」を発表。それが第一歩になる。
その時の条件は、最高時速100km/h以上、定員4人、エンジン排気量350~500cc、燃費30km/L以上、販売価格25万円以下というものだった。結果出てきたのが今の軽自動車の原型となるスバル360、三菱500といったクルマたちだ。
政府主導で国民車構想を掲げたのはドイツ、日本以外に、マレーシア、中国、インドなどにも見られる。
また政府主導ではないものの、戦後経済復興を果たすためにイタリアのフィアットトッポリーノ、フランスのルノー4CVなどさまざまな低価格のクルマが生み出された。
それらもいわば国民車のひとつといっていいだろう。
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