戦後日本の歩みとともに数多のクルマが現れては消えた。
「国民車」といえば、そんなクルマたちのなかでも「性能よく」「コストパフォーマンスよく」「使い勝手よく」という、三拍子そろったクルマに与えられた称号であり、それがそのまま、その時代その時代の覇権がどのクルマ、どのメーカーにあったのかをも表していたように思う。
本企画ではそんなクルマたちを紹介していきたい。
1970年以降に発売された「国民車的なクルマたち」をピックアップしていくと、時代の要求がそうさせたのか、4つの流れに分けることができる。
●I期…誰もが買いやすいコスパに優れた「2BOX&コスパ期(第1世代・1972年〜1982年)」。
●II期…3世代でドライブできる3列シートを持った「3列シート期(第2世代・1982年〜2001年)」。
●III期…燃費に優れ、新技術、新しい価値観を持つ「ハイブリッド&新価値期(第3世代・1993年〜2011年)」。
●IV期…再びコスパを重視した「コスパ重視期(第4世代・2003年~2019年)」。
本企画ではIII期・IV期の30年間を中心に取り上げる。
じつは「国民車」の企画を立ち上げておきながら、担当的には今現在ほんとうに「国民車」と呼ぶに足るクルマが存在しているのか? ちょっと疑わしく思ってもいたりする。
その理由は最後にまとめてみたので、担当のギモンをアタマの片隅にでもおいておいてもらいながら、III期とIV期のクルマたち、30年の日本と日本車の歩みを眺めていってもらいたい。
※本稿は2019年7月のものです
文:渡辺陽一郎/写真:ベストカー編集部
初出:『ベストカー』 2019年8月10日号
【III期 01】 再び軽が国民車へ。初代ワゴンRの衝撃
ミニバンブーム(編集部註:本企画の流れとしてはII期に入る)前夜とほぼ同時期に画期的な軽自動車が誕生する。1993年登場の初代ワゴンR。今に通じる背の高い軽自動車の先駆けだ。
●軽自動車の常識を覆した革新モデル│スズキ初代ワゴンR(1993~1998年)
旧規格だからボディは今の軽よりも小さいが、ゆとりの4名乗車の空間には驚かされたものだ。後席の背もたれを前に倒すと、座面が下がり広く平らな荷室になる仕組みも新鮮だった。
助手席の下には大容量の収納ボックスも備わり、現行ワゴンRと共通の特徴を備えていた。
実は初代ワゴンRの開発段階では「こんなクルマが売れるのか?」と疑う意見もスズキ社内に根強く、コスト低減のために部品共用化率を70%まで高めていた。
月販目標も5000台に抑えて発売したが、次第に売れゆきを伸ばし、1996年の月販平均は3倍以上の1万7000台に。
“軽の新ジャンル”の船出は、実は順風満帆ではなかったのだ。
【III期 02】 コンパクトハッチにも新たな風、ヴィッツ誕生
コンパクトカーで新たな価値を生んだのが1999年に発売された初代ヴィッツ。
●キャッチコピーは「21世紀マイカー」│トヨタ初代ヴィッツ(1999~2005年)
前身となるスターレットなどのコンパクトカーに比べ、質感を大幅に高めたのが注目された。丸みのあるスタイルと入念に作り込まれた内装は、ミドルサイズセダンに見劣りしない…と、当時の私は感じたものだ。
走行安定性と乗り心地も優れ、欧州などでもヤリスの名称で売られて人気モデルに。国内販売の月販目標は、発売時点では9000台だったが、2000年には平均1万3000台を超えるほどの人気。
また発売当初のエンジンは1Lだったが、2001年に初代フィットが登場して好調に売れると、半年後には1.3Lを搭載する買い得なU・Dパッケージを急遽追加。
価格はフィットで売れ筋のAと同額に抑えて、強敵を必ず追撃するトヨタの迅速な商品開発力を見せつけた。そうしてヴィッツは国民車への道を歩んでいく。
【III期 03】 「お買い得感」こそが国民車を形成する ── フィットの登場
その初代ヴィッツを恐れさせたのが、前出の初代フィットだ。その商品力の高さには目を見張るものがあり、一番のウリは燃料タンクを前席の下に搭載した空間効率の高さ。
●国内販売1位を33年間守ったカローラに代わりトップに│ホンダ 初代フィット(2001~2007年)
全長は4m以下で、全高も立体駐車場を使える低さなのに大人4名が快適に乗車できる。おまけに後席を畳むと大容量の荷室が現われる。「このクルマでいいじゃないか」と誰もが思う満足感があった。
その初代フィットのエンジン、発売時点では1.3Lのみだが、最大トルクが2800回転で発揮され、実用域の駆動力が高いのも人気の理由だった。
また10.15モード燃費も23km/L。当時は1Lエンジンのマーチが18km/Lだったから、フィットの燃費の高効率が注目されていた。
そして、価格は売れ筋の「A」が114万5000円と安く、複数のライバルが一斉に同価格の買い得グレードを設けたほど。この時のフィットは3グレードだが、2002年に国内販売の1位に登りつめ、国民車へと認知されていく。
【III期 04】 3代目プリウスが起こしたハイブリッド現象
ハイブリッドに新価値を求め始めた日本人……。大きな契機となったのが2代目プリウスだ。
●THS-IIを初搭載。日本人に“ハイブリッド信仰”が浸透していく│トヨタ 2代目プリウス(2003~2011年)
3BOXから空力特性に優れた5ドアハッチバックに発展して、THS-IIを初搭載。このシステムが優秀で、10.15モード燃費35.5km/Lと驚く数値を打ち出していた。
そして、ハイブリッドに新価値というニーズを決定づけたのが2009年登場の3代目プリウス。1.8Lエンジンをベースにした新ハイブリッドを搭載して、動力性能と実用燃費を向上させた。
●ハイブリッド現象で市民権を得る│トヨタ 3代目プリウス(2009~2015年)
この3代目から販売系列を全店扱いにしたこともあり、売れゆきが急増。月販目標は1万台だったが、翌年には1カ月平均で2万6000台以上の大ヒット。納期が最長10カ月という“プリウス現象”まで起きた。
2010年頃はまさに「ハイブリッド国民車」という状況だったが、より小さく手ごろ価格のアクアの登場は(2011年)、その状況を後押しした。売れ始めたアクアが、2013~2015年は登録車販売1位となったのがその証といえよう。
●エコ&好燃費カローラに代わる国民車へ│トヨタ アクア(2011年~)
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