世界の中でトヨタ マークIIを見れば、日本固有のガラパゴス高級車だったというイメージがある。しかし答えはノー! マークIIは海外でも作られ、クレシーダとして世界各国で売られていたのだ!
文:ベストカーWeb編集部/写真:トヨタ自動車
■マークIIの最大排気量エンジンを搭載!
1968年、コロナの上位モデルとして誕生したマークII。当初は、コロナよりもちょっと上のクルマがほしいパーソナルユースのクルマだったが、フルモデルチェンジを重ねると、世界市場が視野に入ってくる。
こうして1976年に誕生したのが、3代目マークII(X30/40系)をベースとしたクレシーダだ。メインとなったのはセダンとワゴンだが、一部地域向けに2ドアハードトップもラインナップされた。もちろん左ハンドルでバンパーなどが大型化され、エンジンは2.6L直6と2L直4を搭載した。
この初代クレシーダはアメリカやカナダ、欧州、アフリカなどに輸出され、トヨタの高級パーソナルカーとして一定の存在感を示した。
その結果、1981年にクレシーダは2代目に進化する。ベースとなったのはX60系マークIIだが、本家から2ドアハードトップが消えたため、クレシーダも4ドアセダンとワゴンのみとなった。
エンジンはマークIIの排気量拡大に伴い、5M-E及び5M-GE型の2.8L直6エンジンを搭載。東南アジアやオセアニア向けには(おそらく右ハンドル圏)、兄弟車であるチェイサーのフロントマスクを流用した「別顔仕様」も設定されたようだ。
以降クレシーダは、3代目(1985年)、4代目(1989年)と世代を重ねてきた。しかしこの頃になると世界のアッパーミドルセダンは大型化し、5ナンバー枠というサイズ規制に縛られる日本車をそのまま輸出するビジネスモデルは限界を迎えていた。
実際、メインマーケットだった北米で、クレシーダは1985年の4万5286台をピークに売り上げが急減していく。1991年には販売台数が1万台を切り、いよいよ決断を下すべき時期を迎えていた。
■5ナンバー枠に縛られたクルマ作りの限界が……
こうしてクレシーダは、1992年に生産を終える。とはいえ、トヨタの海外向けセダンが終焉を迎えたわけじゃない。この頃には自動車生産のグローバル化が進み、多彩なモデルが育っていたからだ。
クレシーダの市場を受け継いだのが、FFレイアウトで広いキャビンを持つ一連のモデルだ。カムリの海外モデルであるセプター、さらにはカムリプロミネントから派生したレクサスのESも新たな顧客を開拓していた。
そして2年のブランクをおいて、1994年にクレシーダの後継モデルが登場する。それがアバロンだ。アバロンは全長4845mm、全幅1785mmという堂々たるボディを持ち、クレシーダのボディの制約を跳ね返す広大なキャビンを備えていた。
アバロンは現在も北米トヨタのパーソナルセダンの旗艦モデルだ。しかしその源流には、コロナから派生したマークIIの輸出仕様、クレシーダの奮闘があったことを忘れてはならない。
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コメント
コメントの使い方日本では売られていなかった車にまで頭文字Cが使われていたのはトヨタのこだわりを感じますね。
決断とは別車種へのバトンタッチで、日本では新規車種だったアヴァロンですね。