オンリーワンのトラック
ここで、国産トラックメーカーの10トン積トラックの動きを見てみよう。それらと比較すると、6TWシリーズのユニークさがより際立つからだ。
6TW11型がデビューした1958年の10月、日野ヂーゼル工業(のちの日野自動車工業)が10トン積トラック「TC10型」(7.7リッター直6 150PS)を発表した。日野初の10トン積は、軸重を分散しながら車両重量が抑えられる前2軸操舵・後1軸の6×2駆動を、国産車で初めて採用するとともに、キャブオーバー型とすることで大きな荷台長(22尺・6.75m)を確保、高速汎用カーゴの先駆けというべきキャラクターのトラックだった。1960年にはエンジンをターボ付きに改め、出力を200PSにアップした。
翌1959年の12月には、三菱日本重工(のちの三菱重工、自動車部門が三菱自動車工業→商用車部門が三菱ふそうトラック・バス)が11.5トン積キャブオーバー型トラック「ふそうT390型」(8.55リッター直6ターボ220PS)を発表する。こちらは、前1軸・後2軸の6×2駆動で3軸目は非駆動のデッドアクスル、という今日に続く高速汎用カーゴの定番スタイルを最初に採用するものだった。また3軸目にシングルタイヤを履かせたスタイルもT390型が最初である。後発だけに、積載量と荷台長(23尺・6.85m)はクラス最大だった。
いずれも3軸で10トン積だが6×2駆動のキャブオーバー型で、6×4駆動のボンネット型である6TWシリーズとはキャラクターが異なることがわかる。
主流の5~6トン積で国内トラック市場に君臨していたいすゞ自動車も、1962年、やはり前1軸・後2軸の10トン積6×2トラックに参入し、ボンネット型の「TP151型(のちにTP80型)」とキャブオーバー型の「TP70E型/TP80E型」をリリースした。ともにエンジンは10.2リッター直6 190PSで、TP151型/TP80型の荷台長は20尺(6.1m)、TP70E型は23尺(6.87m)、そしてTP80E型はクラス最大を更新する25尺(7.58m)だった。
実は日産ディーゼルも、6TW12型発売翌年の1961年に、キャブオーバー版である「6TWC12型」を投入、後2軸6×2車型(6TWDC12。こちらは3軸目が駆動軸で、2軸目のデッドアクスルにシングルタイヤを履く)も設定した。もちろん、ボンネット6TWシリーズとは別に、当時の7~8トン積トラックの後継になりそうだった10トン積高速汎用カーゴにも、堅実に対応していたのである。
しかし、本格的に10トン積6×2車が台頭してくるのは、高速道路の開通(名神高速道路の開通は1963年で全線開通は1965年、東名高速道路の開通は1968年で全線開通は1969年)とともにトラックによる高速大量輸送が拡大した1960年代後半からで、1960年代前半ではまだまだ少数派だった。また、200PS級のトラック用エンジンのほとんどがターボ付きで、無過給200PS級4ストエンジンが登場するのは1967年になってからである。
そのような1950~60年代にあって、6TWシリーズは、国産最強の2スト無過給230PSエンジンと6×4駆動、頑丈なシャシーがもたらす力強い走りと高速性能の両立、そして優れた耐久信頼性から、重量物輸送やダンプをはじめ多彩な用途で熱烈な支持を集めていった。大規模な建設工事が相次いだ高度成長期において、オンリーワンの地位を築いたわけである。『ハイパワー2デフ車に強い』というUD車のブランドイメージも、6TWシリーズから生まれたと考えられる。
