創業70周年を迎えた極東開発工業の足跡を辿る【日本の礎を築いた特装車アルバムを紐解く/前編】

創業70周年を迎えた極東開発工業の足跡を辿る【日本の礎を築いた特装車アルバムを紐解く/前編】

 戦後日本の礎を築いたクルマといえば、その筆頭に挙げられるのがダンプやミキサー車、コンクリートポンプ車などの特装車だろう。

 その特装車メーカーの最大手の一角である、極東開発工業がこのほど創業70周年を迎えた。

 創業の1955年当時は、まさに戦後の復興から高度経済成長期へ向かう日本の躍動期であった。1996年6月に刊行された「極東開発工業40年史」をもとに同社とその特装車の足跡を辿ってみよう。

文/トラックマガジン「フルロード」編集部、写真・協力/極東開発工業
出典:極東開発工業40年史
*2025年9月発行「フルロード」第58号より

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大手特装車メーカー2社の母体、川西モーターサービス

1957年頃、小型ダンプの中心であった三輪トラック
1957年頃、小型ダンプの中心であった三輪トラック

 極東開発工業と新明和工業といえば、今でこそ日本の最大手の特装車メーカーとして競合関係にあるが、興味深いことにその母体となったのは川西モーターサービスであった。

 川西モーターサービスは、終戦後に航空事業から撤退した川西航空機(後の新明和工業)が進駐軍用自動車の整備作業を行なうために1946年7月に設立した事業部門である。

 川西モーターサービスは1947年1月甲南工場を開設し、民間・官庁のトラックの整備や修理を行なう傍ら、将来に備えてダンプトラックの試作を進め、1949年9月には第1号車を完成。

 翌1950年12月に神戸工場を開設し、本格的に特装車の生産に乗り出した。生産の主力はダンプだったが、タンクローリ、三転ダンプ、ミキサー車、塵芥収集車などへの展開を図り、関西を中心に特装車メーカーとしての地歩を築いていった。

 しかし、大手トラックメーカーであるいすゞ自動車、日野自動車工業、三菱自動車工業、日産ディーゼル工業などの大半が関東地区に所在しており、また、建設省や防衛庁、電力会社などからの独自仕様の大口発注は東京で行なわれることが多かった。

 そこで川西モーターサービスは、将来の飛躍を期して1954年1月、横浜市に東京工場を開設し、関東における生産・営業の拠点とした。

 この受注窓口を広げ、受注量の拡大を図る目的で、特装車の販売を専業とする会社として1955年6月1日に設立されたのが極東開発機械工業(現在の極東開発工業)である。代表取締役社長には宮原勲氏が就任。川西モーターサービスが30%出資し資本参加した。

極東開発機械工業の始まり

 新会社設立といっても、事務所は横浜市の川西モーターサービス東京工場の一角に置き、計7人の営業マンでのスタートであった。

 ちなみに1955年6月~1957年3月の間の売り上げは川西製品の売り上げ実績に基づいた販売手数料収入だった。いっぽう、1950年代の神武景気の好況で特装車の需要も大きく伸び始める。

 川西モーターサービス工場には新たにダイハツ工業から小型ダンプの架装の依頼が入ったが、主力の大型ダンプやタンクローリの生産が多忙で手が回らず、ダンプの主要な機能部品であるシリンダやギアポンプも手に入りにくいため、川西モーターサービスとしては生産に支障をきたす恐れがあった。

 そこで、かねてより機械加工部門に進出したいという極東開発機械工業との希望と合致し、小型ダンプ架装と小型機能部品製作を極東開発で行なうことになり、工場づくりが急がれることになった。

 1956年10月、西宮市上甲子園に約6600㎡の工場跡地を確保。1957年春には甲子園工場が完成し、川西モーターサービス神戸工場から13人が移籍し、極東開発採用の12人の計25人で機械班が編成され、まずPTOの生産を開始した。

 主要製品のPTOは、1957年5月の月産200台からスタートし、10月までの半年間にトヨタ/日産車用の1400台を生産した。

 間もなくPTO以外にも小型車用ギアポンプ、シリンダなどを社内協力工場を主体に生産を開始。当初の生産能力は低かったが、1959年に第1次、1960年には第2次の設備投資を実施し、生産性や機械精度が飛躍的に向上した。

 いっぽう機械加工とは別に、既存の建物を使って1956年暮れからタンクローリ、翌年初めからはダイハツの小型ダンプカーの架装を開始し、同年9月以降はダイハツ以外のトヨタ、日産、みずしまなどの小型ダンプ全般、ならびにタンクローリやバキュームカーの生産も始めた。

甲子園工場の内部の様子。ダンプ用のシリンダが製造されていた(1957年撮影)
甲子園工場の内部の様子。ダンプ用のシリンダが製造されていた(1957年撮影)
甲子園工場では、機械加工とは別に1956年暮れから小型トラックの架装も行なっている。左は2000リッターのガソリンを運ぶ小型タンクローリ、右はバキュームカー
甲子園工場では、機械加工とは別に1956年暮れから小型トラックの架装も行なっている。左は2000リッターのガソリンを運ぶ小型タンクローリ、右はバキュームカー

 架装関係は15人でスタートしたが、特に生産計画を立てるでもなく受注に合わせての生産だった。当初月産20台程度の規模から1957年末にはダンプカー80台、その他20台の計100台に増加し、残業に追われるほどだった。

 その後も生産台数は順調に増え、1958年には社内協力工場分も含めると月産200台近くに達し、約6600㎡の敷地では、シャシーが混雑し、整理に頭を悩ます状態が続くようになった。

 ところで1955年に横浜で誕生した極東開発機械工業だが、他社に同居のいわば仮住まいだった。そこで1957年に甲子園工場に生産拠点ができたのを機に、同年4月1日、本社所在地を西宮市上甲子園に移転することになった。同地は生産機能を持った拠点として、特装車メーカー・極東開発の発祥の地となった。

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