なぜ「建柱車」だったのか?
ここで奇妙に思えるのが、「なぜ、くろがね車の販売に携わっていた人たちが、建柱用クレーン装置を手掛けるようになったの?」という点です。先にネタ明かしすると「もともとくろがね車ベースの特装車として建柱車を手掛けていたから」です。そのキーパーソンだったのが、アイチ創業者の鈴木氏でした。
1916年生まれの鈴木氏は復員後、大手特装車メーカー・東邦特殊自動車(後に旧・東急車輛製造が吸収)を経て、1955年に愛知くろがね販売へ転職したという経歴の持ち主で、東邦特殊時代には外部企業への生産委託や特装車ユーザーへの営業活動で、その才を発揮していました。
愛知くろがね販売では、かねてより電気工事業界からの要望が強かった、建柱車の商品化に取り組んでいました。建柱車は当時最新の特装車でしたが、ユーザーの要望をきめ細かく採り入れながら設計し、それを外部企業で生産するという、東邦特殊時代に確立した手法を踏襲して開発されました。
同一といえる証拠はないものの、資料を見比べると、東邦特殊の建柱車とくろがねの建柱車(1960~61年頃?)のそれぞれの上モノには、共通するセンスを感じられるところがあります。
アイチはファブレスメーカーのさきがけだった!?
創業当時の愛知車輛は、電気工事関係に特化した特装車メーカーを指向していたものの、生産設備はまったくありませんでした。社史には、上モノの設計・試作は自社で行ない、生産は外部企業2社に委託したという記述があり、これまた鈴木流の手法そのままでしたが、奇しくも今日のファブレスメーカーのさきがけでもあったわけです。なお、当時の本社は名古屋(愛知くろがね販売の建屋をそのまま借りていた)でしたが、開発部門は東京にありました。
最初の製品であるA型建柱車も、当然ながら同じKY型ベースのくろがね建柱車とよく似ています。ただ、判明している範囲でいえば、最大吊上重量はくろがね建柱車(1.8トン)とA型建柱車(1.2トン)で微妙に違うようですが、その理由はわかりません。
ちなみに、社史に挙げられている生産委託先のうちの1社は、1961年のある資料で、自社製品として荷役用クレーン車を紹介しています。これは建柱用クレーンを荷役用に改良したものですが、くろがね建柱車とよく似ており、ベース車もKY型(8尺タイプ)でした。この会社がくろがね時代からの生産委託先だったとしても、違和感はないでしょう。