軍用トラックの国産化と突然の終焉
そこでMDFは、自身の鉄鋼生産力を背景として、トラックの国産化に乗り出しました。トラック技術は、フランスの商用車メーカー・ベルリエ(後にルノー大型車部門が吸収)と提携して、大型トラック※をライセンス生産することにしました。
※軍用の総輪駆動モデルが中心。民生用モデルも存在したらしいが実態は不明
ベルリエ車の組立工場は、トラマガルの鉄鋼工場の西隣にあった土地(ブドウ畑)に設置されました。トラマガルの隣町には、最大のユーザーである陸軍の広大な基地が所在していて、この当時に限れば良好な立地だったのです。
これが、1964年に設立されたMDF自動車製造部門(ベルリエ・ディビジョン)でした。1974年までに約3500台のトラマガル製ベルリエ車を生産し、なおかつ軍から大量に受注していましたが、10年以上に及ぶ植民地戦争で国庫も軍も疲弊し、ついにはカーネーション革命によって突如終戦を迎えます。そしてMDFは多くの仕事を一挙に失いました。
軍需が消えてからのMDFは苦境にあえぎ、自動車製造部門では、現地や海外の企業から様々なクルマ(中型および小型トラックや小型商用車、小型4×4車など)の組立業務を請け負って糊口をしのぎました。しかしいずれも少量で、約6年間で合計1000台ほどにしかならなかったようです。