クルマと道路は切っても切り離せないもの。交通ジャーナリストの清水草一が、毎回、道路についてわかりやすく解説する当コーナー。今回は、東日本大震災「311」に想いを寄せて、三陸沿岸道路の今をレポートする!
文/清水草一、写真/フォッケウルフ
三陸沿岸の道路復興は進んでいるのか?
今年の3月11日で、東日本大震災発生から丸14年になる。被災地、とりわけ三陸沿岸地方の道路は、この14年間で大いに復興・発展した。
震災前、三陸沿岸には高速道路網がほぼ未完成の状態だったが、震災後間もなく、復興道路および復興支援道路計画(延長550km)が決定され、2021年12月、自動車専用道路である「三陸道」「釜石道」および「宮古盛岡横断道」が全線開通。立派なハイウェイ・ネットワークが完成した。
私は昨年秋、仙台から八戸まで、三陸道を全線走破した。すべて片側1車線だが、それは交通量に見合ったもので、中央分離帯のある片側1車線区間も多く、いわゆる「暫定2車線」に比べても、安全面が配慮された設計になっている。
やはり、高速道路があるとないとでは大違いで、所要時間も疲労度も断然少ない。国交省によれば、仙台-八戸間の所要時間は、震災前の約8時間半から、5時間強にまで短縮された。三陸沿岸の復興の準備は、物流面に関しては整ったと言える。
【画像ギャラリー】あれから14年……現在の三陸沿岸の写真をまとめて見る!(5枚)画像ギャラリー「壁」で塞がれた見えない海
一方、三陸沿岸を訪れる旅行者の目で見ると、厳しい現実がある。
岩手県から宮城県、福島県の沿岸には、総事業費約1兆円をかけ、総延長400kmの防潮堤が完成している。その高さは、最大15.5m。三陸沿岸は、ほとんどの場所で10m以上の高さがある。
三陸沿岸は昭和期、2度の大津波被害を受けており、もともとかなり高い防潮堤が建設されていたが、震災後に新設された防潮堤の迫力は圧倒的だ。三陸沿岸に沿って走る国道45号線からは、ほぼまったく海が見えない。国道から外れても、車窓から海を眺められるポイントはほとんどない。
たとえば宮古市。浄土ヶ浜など風光明媚な海岸を持つが、宮古湾沿いの市街地は、防潮堤で完璧にガードされており、刑務所の中にいるようだ。
三陸沿岸の街は、どこも同じような状況だ。海岸近くにいるのに海が見えないというのは、それだけで圧迫感があるが、三陸沿岸は山も迫っているので、閉塞感はさらに高まり、息苦しささえ覚える。
宮古市田老地区は、昭和の2度の大津波を経て、「万里の長城」と呼ばれる高さ10mの二重の防潮堤が完成していたが、東日本大震災の大津波は、その防潮堤を超えて押し寄せ、街を壊滅させた。
現在は、万里の長城のさらに海岸寄りに、高さ約15mの新防潮堤が完成している。もちろん、海など見えるはずがない。
【画像ギャラリー】あれから14年……現在の三陸沿岸の写真をまとめて見る!(5枚)画像ギャラリーようやく到達した“太平洋が見渡せる場所”
「道の駅たろう」はそれなりに賑わっており、津波震災遺構である旧「たろう観光ホテル」には、バイクのツーリンググループが訪れていたが、ほぼ海が見えなくなった三陸沿岸にとっては、道の駅と震災遺構が最大の観光資源。それを除けば、見るべきものは多くはない。
田老の市街地から市道を北に進み、ようやく海が開けた時は、思わず「おお~!」と声が出た。すばらしい海岸美だったが、三陸沿岸にそんな場所は、わずかしか残されてない。高速道路網や国道は立派に整備されたが、観光業の復活は厳しいと言わざるを得ない。
三陸道を北に進み、岩手県最北端の洋野町(ひろのちょう)で高速道路を降り、海岸を目指したところ、種市海岸公園という場所に出た。太平洋よく見渡せて、満月がとても美しかった。
「ここはなぜこんなに防潮堤が低いんだろう」。
実は私はいつのまにか、高さ12mの防潮堤をくぐっていたのである。洋野町の防潮堤は、震災前から12mの高さがあり、それが大震災の10mの津波を防いたことで、三陸沿岸の市町村で唯一、人的被害がゼロだったという。
防潮堤が機能すれば、その効果は絶大だ。しかし日常的には、海岸からの断絶は悲しい。せめて防潮堤の外側に、海岸美を楽しめる区画を、もう少し多く残す工夫が欲しかった。
三陸沿岸に関しては、いまさら言っても詮無いが、能登半島をはじめとして、今後の津波復興には、この教訓を生かすべきだろう。
【画像ギャラリー】あれから14年……現在の三陸沿岸の写真をまとめて見る!(5枚)画像ギャラリー









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