日産自動車が神奈川県の追浜工場での車両生産を2027年度末で終了し、九州工場へと統合する方針を打ち出した。地元の雇用や地域経済、そしてクルマの生産体制にどんな影響があるのか。クルマ好きなら知っておきたいポイントをわかりやすくお届けする。
文:ベストカーWeb編集部/写真:日産
追浜工場の歴史と果たしてきた役割
1961年に操業を開始した神奈川県横須賀市の日産自動車追浜工場は、ノートをはじめとする主力モデルを生産してきた国内屈指の生産拠点である。
累計生産台数は実に約1780万台以上。地域の雇用やパートナー企業とともに発展を遂げ、日本のモノづくりの象徴とも言える存在であった。
しかし、世界の市場で競争が激化する中、日産はこの追浜工場での車両生産を九州工場に集約するという決断を下した。
なぜ追浜工場の生産を九州に集約するのか
日産の発表によれば、追浜工場の一部機能は残るものの、主力の車両生産業務は2027年度末をもって終了するという。その背景には「Re:Nissan」計画に基づく生産効率の最大化と、コスト競争力の強化がある。
追浜工場で作られてきたノートやノートオーラといった人気モデルは、福岡県苅田町の日産自動車九州へと移され、九州工場で一括生産される予定だ。
イヴァン・エスピノーザCEOも「持続可能な未来を築くための重要な一歩」と語っており、九州への集約で工場稼働率を100%に近づけ、グローバル生産台数を現在の約350万台(中国を除く)から250万台へ適正化する狙いがある。
追浜工場のこれからと地域への影響
今回の統合で、追浜地域の従業員約2400人については配置転換や最適な活用を検討していくと発表されている。
加えて、追浜工場には総合研究所「GRANDRIVE」や衝突試験場などの重要な機能があり、これらは引き続き活用される見込みだ。
1961年から始まった追浜工場の歴史にはダットサンブルーバードを皮切りに、キューブ、マーチ、ノートなど数々の名車が名を連ねてきた。「最後の追浜産モデルを手に入れておきたい!」と思うクルマ好きもきっと多いはずだ。
これからのクルマづくりと私たちユーザーにできること
今回の決定は単なる生産体制の集約にとどまらず、日産の国内拠点のあり方そのものを再構築する大きな節目でもある。
これを機に、九州工場でより効率的で高品質なクルマづくりが進められ、日本国内での技術開発とモノづくりの継承がどう進んでいくのか、注目していきたいところだ。
なお、日産は7月15日午後5時から、本社で記者会見を開く。イヴァン・エスピノーザCEOが何を語るのか注目だ。




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