■ホンダ F1撤退の原因となった「重荷」
“では何が?”を考察して見れば、やはりF1のパワーユニット(PU)開発への膨大な資金が現状のホンダの重荷になっているのだろう。
F1のPU開発には恐ろしい程膨大な資金が必要であり、コロナ禍以後世界的に車の販売が落ち込み、利益の減少はバブル経済崩壊時そしてリーマンショック時以上の落ち込みを見せ、自動車業界はジリ貧状態へ突入。
売り上げはわずかずつ伸び始めてはいるが、コロナ禍の収まる保証はなく将来の予測は全く掴めないのだから。
それにしてもホンダのF1挑戦は今回で4回目、1960年代に挑戦を始め、最終的に勝てるマシンに近づきながら会社の財政的な問題でF1から撤退、これを第一期。
そして、第二期はターボエンジンを持ち込み、初期にウィリアムズ、後期はマクラーレンでホンダイズムの発露たる技術と情熱と戦略とアイデアが見事に融合して怒濤のホンダ時代を築いてきた。ターボ時代を席巻し、V10で勝利し、ホンダのルーツとなるV12でホンダ第三期F1プロジェクトを完成させた。
バブル時代の強引な経済がホンダに奏功し第二期プロジェクトは成功裏に終わったが、この第二期撤退もバブル経済の終焉と重なり、経済的な問題が撤退理由の一つであった。
第二期の圧倒的な強さと栄光はF1史に燦然と輝く成果を残し、その余韻はホンダに強く浸透した。ここまではホンダがホンダイズムを前面に、スタッフ一丸となって勝利を目指す戦闘集団を形成し、ホンダもレーススタッフもエンジニアも、その目的に“勝利”を置いてブレることなく突き進んでいた時代だ。
■ホンダF1が大きく変わってしまった第三期
ホンダが変わったのは、第三期のプロジェクトからだ。第三期には全く新しいホンダを形成しようと、第二期を完全に捨て去り、全く新たなプロジェクトとして動き始めた。
スタッフも技術も全て新規。理由は“技術のノウハウの取得や若いエンジニアの養成……”。これが第三期開始時の建前であったが、ここにはそれで勝てると言う根拠のない自信も加わっていたように思える。不思議なことにこれはそのまま第四期発進の建前と重なる。
第三期出発前には一年間テストチームさえ組んでテストだけに明け暮れ、このテストチームがそのまま翌年のレースチームとして出発するはずが、蓋を開けてみると巨額の資金を使ったテストチームは、車体のデータも含めて丸ごと破棄され、新興BARへと心変わりしたのだ。
(編注:当時、車体も含めてオールホンダで参戦予定が、一転して新興チームBARへのエンジン供給という形に変化)
この裏に、当時の売り上げトップのアメリカ・ホンダの勢いと、アメリカ資本のBARとの大きな関わりがあったことは、業界では既成の事実と受け取られている。
■第三期ホンダF1と第四期撤退に見る「共通点」
この第三期BARとホンダの関わりが、どこか第四期、つまり現行のホンダF1プロジェクトと重なる。特にマクラーレンとの3年間はそのままBARとの関係と重なってデジャブのごとくだ。
どちらの場合もF1への発進に確たるコンセプトが成立しておらず、出発前の深いリサーチもあったようには思えず、成り行きと裏付けのない楽観と自信がコンセプトの確立やプロジェクトの行方を片隅に押しやったままで見切り発進をしている。
さらに、第三期終盤でやっと戦闘力が見えてきたとき、リーマンショックに追われ、またもやF1への資金が真っ先に犠牲となり……100%ホンダを謳っていながらも乱暴にチームを放棄、その放棄されたチームが現在のメルセデス(になった)というのが何とも皮肉だが。
そして現在第四期。マクラーレンとのスタートは、第三期のBARとの関係以上にリサーチも検討もなく、通算3年間も膨大な資金を無駄にしてしまった。
それでもマクラーレンとの関係を絶ち、組織も人材も技術も全く新規に組織し、レッドブルグループとの共闘を初めると僅か2年目には既に複数回の優勝を手にしていた。それも堂々と力ずくでの優勝だ。
3年目の今年、チャンピオンシップを狙うほどの実力をつけ、今や絶対王者のメルセデスに肉薄する力を持ち始めた……のに。
ホンダは、我々F1ファンの憧れであった。しかし今回もまたホンダはその憧れを踏みにじって去ってゆく。
最も大きな打撃はレッドブルだろう。ホンダとの長期のコラボレーションを予定して諦めたアストンマーチンとの関係。ホンダが撤退してもアストンマーチンは、もはやレーシングポイントのものだ。
ホンダの撤退がレッドブルグループのチャンスを押しつぶし、もしも彼らさえもF1からの撤退を余儀なくされたら……コンセプトレスのホンダF1チャレンジが、F1に与えるダメージの大きさは計り知れない。
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