■よきライバル、インフィニティがセルシオを大きくした!
初代セルシオ(1989年10月)
ライバル/初代インフィニティQ45(1989年11月)
1980年代、日本は世界有数の自動車大国に成長し、海外でもすこぶる評判がよかった。だが、世界が認める高級セダンは、意外にもなかったのだ。
そこでトヨタと日産は、世界が認めるグローバル・プレミアムセダンの開発に乗り出している。高級車市場で成功させるため、新ブランドと新しいチャネルも構築した。
トヨタはレクサスを、日産はインフィニティを立ち上げ、ひと足早く北米で販売を開始する。そのフラッグシップがレクサスLS400であり、インフィニティQ45だ。
LS400は、日本ではトヨタ店とトヨペット店が扱うため、セルシオのネーミングを名乗り、1989年10月にデビューした。日本らしい「おもてなし」の精神と多くの新機構、最先端テクノロジーをふんだんに盛り込み、快適性のレベルも1ランク引き上げている。
エンジンはアルミ製の4LV型8気筒DOHCだ。サスペンションは前後ともダブルウイッシュボーンで、電子制御エアサスのほか、ピエゾ素子を用いた電子制御サスペンションも用意した。
源流対策を徹底し、ヤマハが手がけた精緻なウッドパネルや自発光式のオプティトロンメーターも注目を集めている。
その1カ月後に販売を開始したインフィニティQ45は、日産が威信をかけて開発し、送り出した究極のプレステージセダンだ。
新開発の4.5LのV型8気筒DOHCエンジンや4輪マルチリンクに世界初の油圧アクティブサスペンションなど、ハイテクの塊だった。デザインは前衛的だが、七宝焼きのエンブレムや会津塗りのココン塗装など、和のテイストにもこだわっている。
お互い、ライバルを強く意識し、最初の段階から全く違う味わいのクルマを企画し、開発を行った。両車は次元の違うレベルまで性能と快適性を追求し、その実現を目指している。
販売面ではセルシオがインフィニティQ45を圧倒した。が、世界一の洗練されたドライブトレーンを生み出そうと頑張ったインフィニティQ45の至高の走りと時代の先を行く革新技術の数々は、セルシオのエンジニアに衝撃を与えている。
セルシオは丸4年でモデルチェンジを敢行し、2代目は張り合ってスポーティ度を大幅に高めた。
競い合って新世代の最高級セダンを作り上げたからこそ、名門メルセデスベンツやBMW、キャデラックなども負けまいと奮起し、クルマづくりの革新を行ったのである。
■ムーヴという好敵手があったからこそ、ワゴンRの進化が加速した……
名車/初代ワゴンR(1993年9月)
ライバル/初代ムーヴ(1995年8月)
1990年春、軽自動車は安全性と快適性の向上を目指し、規格を改正した。排気量を550ccから660ccに引き上げ、ボディサイズも拡大している。全長は100mm延びた。
47万円の低価格で売り出し、アルトをヒットさせたスズキのエンジニアは、RVのようにマルチに使えるワゴン感覚の便利なクルマを軽自動車で実現すれば多くの人が欲しがるのでは!?と、考えた。
4人が快適に座れるようにボンネットを切り詰め、背も高くしている。トールデザインの台形フォルムとし、室内高は1300mm以上を目指した。荷室も広くできる。ワゴンRは1993年9月に鮮烈なデビューを飾った。ユニークなのはドアだ。運転席側が1枚、助手席側は前後2枚の変則3ドアとしている。
その2年後の1995年8月、ワゴンRを追ってダイハツがムーヴを送り込んだ。こちらもトールデザインの台形フォルムを採用し、ドアはワゴンRにはない一般的な5ドアである。デザインはイタリアのカロッツェリア、I.DE.Aである。
バックドアはハッチゲートではなく、狭い場所で開け閉めしやすい横開きとし、ハイマウントストップランプも組み込んだ。
エンジンはワゴンRがSOHCであるのに対し、DOHCで、ターボは64psを達成。FF車は乗り心地のいい4輪独立懸架だ。1996年5月には運転席にエアバッグを標準装備し、ATも上級クラスと同じ4速タイプにする。
ワゴンRは爆発的に売れ、わずか3年で50万台販売の偉業を達成したが、この手強いライバルの出現に対抗策を講じている。
スズキは1996年4月、利便性を高めた5ドアを4月に特別仕様車として登場させ、圧倒的な人気を得たことを確信すると8月には正式なカタログモデルとして追加。1097年4月には新開発のDOHCエンジンや4速ATを投入したのだった。
質感の高さを売りにするムーヴが登場しなかったら、ワゴンRはここまで大きく進化させることはなかったはずだ。今日まで、宿命のライバル関係が続いているのはご存じのとおり。
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