【追悼・前澤義雄氏三回忌】 元日産デザイナーは「野獣のような目をしたアーティスト」

元・日産カーデザイナーという経歴を持ち、カーデザインを常に厳しく見つめていた前澤義雄氏。「デザイン水かけ論」をベストカー本誌で連載し、公私にわたって付き合いのあった清水草一氏からみた前澤氏はどういった人物で、どういったデザイン論を持っていたのか?

生前の氏を偲び、ここに誌上三回忌を展開し、氏の考え方をいま一度伝えたい。
文:清水草一
ベストカー2016年12月26日号


自動車デザインに最も大事なのは「時間的耐久性」

前澤義雄さんが亡くなって丸2年。三回忌を前に、ついにお墓参りをすることができました!

前澤さんのお墓を探し当てた時は「ああ~前澤さん!」と、思わず本人に再会できたような喜びでいっぱいになった。墓石を掃除して花をたむけてお線香を焚いて、お墓の前に座り込んで勝手に話し込ませてもらって、本当に心が落ち着いた。

1989年の初対面から数えると25年。2002年春にベストカー本誌で『デザイン水かけ論』の連載が始まって12年半。前澤さんとは本当に濃いお付き合いだった。年齢が23歳違ったから、孤高のガンコ親父のようにも感じていた。

前澤さんのプライベートについて深く知っているわけではないけれど、親子ってわりとそういうもんでしょ? 友達じゃなく、あくまで親子。譲らない父親に反抗する息子。そんな感じで12年半連載を続けさせてもらった。

ところで、前澤義雄さんはどういう人だったのか。

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広報部員を相手にデザイン論を語る前澤氏

「野獣のような目をしたアーティスト」と直感したのは、フェアレディZ、Z32のチーフデザイナーとして初対面した時の印象だが、水かけ論を初めてからは、息子(私)がどんだけケンカを吹っかけても、柳に風で淡々と無視し、ひたすら難解な前澤デザイン理論を繰り返す、あの連載そのものの方でした。

今でも前澤さんに感謝したいのは、素人の若造が「何言ってるかわかりません!」と食い下がっても、決して怒ったりヘソを曲げたりせず、できた父親のごとく不動の重みを持って跳ね返してくれたことだ。

特に連載開始直後の頃、私は真剣にケンカを売っていたので、あそこで本当のケンカになっていたら、連載は短命に終わっただろう。前澤さんの広い心に本当に感謝です。

そして、前澤さんが教えてくれた自動車デザインの見方のイロハ。

自動車デザインにとって最も大事なのは、時間的耐久性だ。それをもたらすのは、第一にプロポーション。続いて面の質感。それを補足するエッジなど。最後にヘッドライトやグリル、テールランプなど目鼻の造形が加わる。

「そのクルマのデザインがいいと思ったら、なぜいいのかその理由を考えろ。ダメならその理由を考えろ。そして言語化しろ」

前澤さんが教えてくれた原則を、あらためて思い起こしたお墓参りでした。

(清水草一)

P10プリメーラから幻の名車まで。前澤義雄氏が携わったクルマたち

厳しさを感じさせる風貌が、見る者に隙のない印象を与える前澤氏。ともすれば近寄り難いと思われるが、氏は非常に微笑ましい一面も持っていた。

そんな前澤氏が日産のデザイナー時代に携わったクルマの「代表作」ともいえるのがこの6台だ。なかでもP10型初代プリメーラは、欧州でも通用するハンドリング・デザインを備えた名車。

さらにZ32型フェアレディZや、“幻の名車”MID4-IIなど、スポーツカーでも氏は個性的なデザインを残している。

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初代プリメーラ【1990】(左)。日本車離れした優れたハンドリングを実現。クリーンで嫌みのないデザインも好評を得た
3代目マキシマ【1988】(右)。3ナンバー専用ボディとすることで広い室内空間を実現

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4代目フェアレディZ【1989】(左)。ワイド&ローなデザインでカッコよかったが、半面、整備性には難があったという
4代目パルサー【1990】(右)。5ドアHBのデザインはユニークで、オペルなど欧州メーカーにも影響を与えた

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MID4-II【1987】(左)。3L、V6をミドに積んだ日産のスーパースポーツ。試乗会も開催されるなどほぼ完成していたが、市販はならず
AD-1【1975】(右)。1975年の東京モーターショーに出展されたコンセプトカー。Cd値はなんと0.29!

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