年に1度の鈴鹿モータースポーツファン感謝デー。二輪も四輪も大いに盛り上がるのがこのイベントだ。
3月4日(土)〜5日(日)に行われた2017年の”ファン感”で、歴史に残る大きなイベントが実現した。「日本一速い男」が半世紀ぶりの夢を叶えたのだ。
メーカーの枠を超えた粋な演出に、多くのファンが胸を打たれた。その様子をレポートしよう。
文:WEBベストカー編集部/写真:塩川雅人
“日本一速い男” 星野一義
星野一義氏は四輪レース界、とりわけ日産のレース史を築いてきたスーパースターであることは、きっと多くの読者も知っていることだろう。
しかし星野氏が二輪出身という事実はモータースポーツファンでなければ知らないかもしれない。かつてはモトクロスのカワサキワークスチームに在籍し、全日本モトクロス選手権で優勝を飾ったこともある。
そんな星野氏には憧れる2人のプロライダーがいた。それがホンダワークスチームに在籍していた高橋国光氏、北野元氏。
あの人と同じ舞台に立ちたい、という思いがずっとあったのだ。後に高橋氏、北野氏が四輪転向後に日産追浜ワークスで大活躍をし、さらにその後、星野氏が日産大森ワークスに参加したことは決して偶然の産物とは思えない。
常に憧れを追いかけた結果である。
そんな星野氏の夢、それが「ホンダのワークスマシンに乗りたい」だった。これには大きな障壁もある。前述のように「星野一義=日産」というイメージが強く、決してホンダのマシンに迂闊に乗れる立場ではなかったのだ。
しかし2017年3月4日、ホンダと日産の企業を超えた協力もあり、星野氏が半世紀ぶりに夢を叶えることになった。
乗車するマシンはRC166。世界初の6気筒搭載の250ccレーシングバイクで、世界グランプリで圧倒的な強さを誇ったマシン。
この伝説の1台に乗れる、レジェンドはいま何を思っているのか。ファン感謝デーに訪れた多くの観客が星野氏の登場を今か今かと待った。


トークショーでも歴史的な出来事が!?
トークショーが始まった。最初にレザーのツナギに身を包んだ高橋国光氏と北野元氏が登場。左胸には当時のワークスメンバーの証である”HSC(ホンダスピードクラブ)”のロゴが光る。
そして最後に星野氏も同じ衣装で登場。さりげなく過ぎた、たった数秒の出来事だったが、これは歴史的な一瞬だった。
トークショーではいつもの星野節だったが、どうも時折声が震えている。そしてこみ上げる感情を抑えているような様子も何回かあった。
同席した高橋氏、北野氏への憧れの言葉、そして何度も繰り返したのがこの機会を提供してくれたホンダと日産への感謝の言葉だった。こんな光景を間近で見られたこと、観客にとっても貴重な体験だったと思う。
また現役当時は家族をサーキットに呼ばなかったという星野氏だが、この日ばかりは家族をサーキットに招いた。半世紀ぶりの夢が叶う瞬間、その瞬間を”日本一速い男”を支えた家族と迎えたい。そんな思いがきっとあったはずだ。
いよいよ歴史的瞬間が近づいてきた。あのイエローとホワイトの見慣れたカラーリングのヘルメット(こちらも史上初となる星野一義仕様の二輪用ヘルメット)を被る。
レザーグローブを身につけ、メカニックが最終調整をするRC166を見つめる。時折しゃがみ込み、エギゾーストを聞き入る。集中を高めている様子だった。なんせ目前にあるのは憧れ続けたホンダのワークスマシンだ。


夢が叶った、そして鈴鹿からマン島へ!?
ツインリンクもてぎにある、ホンダコレクションホールのメカニックたちが暖機を行う。RC166の6気筒エンジンはその咆哮を鈴鹿サーキットに轟かせる。現代に聞いても凄まじいサウンド。星野氏の目つきがキッと変わる。
いよいよ星野氏がRC166にまたがる、そしてスムーズに走り始めた。憧れだった高橋国光氏、北野元氏、そしてホンダのワークスマシン。東コースを2周して戻って来た星野氏の表情には満足感、そして多くの感謝の念がにじみ出ていた。
最後に司会のピエール北川氏から感想を求められて「ホンダと契約したから、これからマン島に行ってくるね!!」とひと言。ファンは大歓声でいつもの星野節に賛辞を送った。
今回の歴史的な出来事の舞台裏にはホンダと日産、そして鈴鹿サーキットを運営するモビリティランドなど多くの企業と人物が関わっているはずだ。「レジェンドの夢を実現させたい」。その思いを結実させた関係者にも賛辞を送りたい。
2017年3月4日。モータースポーツの歴史に新たな1ページが追加された。



