今だから話せるスカイライン秘話『無謀と言われたR32』【水野和敏が斬る】

今だから話せるスカイライン秘話『無謀と言われたR32』【水野和敏が斬る】

現在まで計13代のモデルを世に送り出したスカイラインは、2017年で60周年を迎えた。現行型GT-Rの開発を指揮したことでも知られ、R32型スカイラインなどの開発に携わった水野和敏氏が、「今だから話せる」スカイラインのエピソードを語る。

文:編集部/写真:NISSAN、編集部
ベストカー2017年6月10日号



「マツダに入社したかった」水野氏とスカイラインの出会い


今だから話せる話……。スカイラインが私を鍛え、私に与えてくれたのは「日産自動車入社の動機」と「群としての車両商品計画手法」、そして「新しい提案の実現に必須なことは体を張った仕事」という、とても大事な3つのインパクトです。

もともと私はマツダに入って、ロータリーエンジンを搭載し小さな体で巨人GT-Rに挑み続けたファミリアロータリークーペでレースをやりたいと思っていました。

しかし、マツダはワークス活動をしていないということで、ならば……と日産に決めたのです。マツダ以外ならばGT-Rのある日産だな、と。1972年、C110型デビューの年です。


セダンはケンメリの愛称を持つC110型スカイラインには、セダンのほか写真の2ドアハードトップもラインアップ。そのデビュー年である1972年に、水野氏は日産に入社した

当時の日産は旧プリンス系と開発現場が別で、私は『日産系』に配属され、最初はロータリーエンジン搭載を含めたサニーやシルビアの排気対策を担当しました。

次にプラットフォーム計画や設計を担当し、430セド/グロ、FF化したU11ブルーバードとV6搭載のマキシマやサニールプリなどをやりました。

サニールプリは個人として徹底的に軽量化と動力性能にこだわった記憶があります。

「無謀だと思われた」R32スカイライン開発の秘話


初めてスカイラインの開発に関わったのはR32型から。今だから言えますが、R32型スカイラインのユニークな車両パッケージングができたのは「群としての商品計画」をやったからです。


水野氏が初めてスカイラインに携わったのは歴代でも随一の人気を持つR32型から

私は「全車の車両計画担当」という横断的な立場で、各商品の特徴化を常に創り続けました。

例えば一緒に“群”として開発した、新感覚スタイリッシュ優先のA31型初代セフィーロには「クラス平均の室内&トランク空間と新しいクーペ型フルドア構造の4枚ドア」。

C33型ローレルには「ゆとりサイズの室内&トランク空間と流行りの完全サッシュレス4ドアハードトップ」。

そしてR32型スカイラインには「箱根まで若者4人が乗れるサニーサイズの室内空間とシルビアサイズのトランク」という当時の6気筒エンジン搭載車クラスで最も狭い居室&トランクと、セドリック並みの大きくて力強いエンジンルームという組み合わせを採用したのです。


R32型スカイラインは、長さのある直6エンジンを搭載した当時の日産車のなかで最もコンパクトなパッケージングを実現した名車

このような無謀なことは“群”としての計画があって、関係者に共有されて初めて許されることなのです。各車バラバラに会社のモデルチェンジ計画に従って開発しているだけでは難しい。

そして、このような活動の中で「新提案を実現させるには体を張った仕事」が必要であることも習得させてもらいました。

当時、担当する商品主管の方からは「本当にこんな狭いクルマで売れるのか? 市場で問題にならないか?」とさんざん突き返されましたし、実際、発売後に「R32セダンの室内は狭い」とか「荷物が積めない」などのクレームは出ました。

ただし、その要望にはローレルで応えているのだから、日産自動車として見れば同じパッケージングのクルマが2車種必要ありません。

R32スカイラインを含めた“商品群”として個々のモデルにしかない固有の価値を提案しているからこそ、スカイラインもローレルもセフィーロも当時爆発的に売れたし、今でもほかにこのような商品がないからファンの方も多いのだと思います。

次ページ:水野氏は自身が携わったR34、V35をどう振り返る?


R34でふたたびスカイライン開発に携わる
会社の辞令でグループCレース現場に異動となり、新車開発から抜け、外からローレルに近づいたR33スカイラインやブルーバード化したP11プリメーラを見た時の“気持ち”は正直「悟りの境地」でした。

グループCレースがなくなり、新車開発の現場に戻って最初の仕事がR34スカイラインの“車両開発主管”業務でした。

商品の企画をコアとした商品主管とは別に車両開発専門職として私には、ゴーンさんが日産にくる以前から“車両開発主管”という肩書が与えられていました。

この肩書を使って鈴木利男さんと手作りで開発したR34 GT-Rの“Mスペック”は、その後のR35GT-R開発の礎となりました。


『GT-R』は、R34型を最後にスカイラインから独立したモデルになるが、このR34スカイラインGT-R Mスペックが、後のGT-Rの礎を築いたと水野氏

『20年先を見据えて作った』V35スカイライン


V35スカイラインでV6エンジンフロントミドシップ(FM)パッケージを提案して開発しましたが、開発当初は、どこの自動車メーカーを見ても急務はFF化やRVブームの対応。

いまさらFR車の新パッケージはないとか、あわせて従来からの直6エンジン主体の別案プラットフォーム開発がすでに始まっており「レース戻りの水野が勝手なことをやっている」など社内では反対の声が多く、ゴーンさんが日産に来なければ潰されていたかもしれません。


水野氏が手がけたV35スカイラインは、R34までの直6エンジンではなく、V6エンジンを採用。今までのスカイラインになかったパッケージングを実現した

ゴーンさんやペラタさんに手弁当と手作りの試乗車に飛び入りで試乗していただき「これこそがグローバルに次世代を担うパッケージング。統合プラットフォームとしてZやスカイライン適用を含め開発しなさい」となったわけです。

こんな経緯もありゴーンさんが来る以前は正体不明な車名「XVL」と名づけました。

その後のマスコミ評論の中では「本当はスカイラインではなかった」だとか「ローレルがどうした」とか……いろいろな話がありましたが、アッパーミドルサルーンですでに市場淘汰しているベンツやBMWの中に割って入り戦うためには世界を見渡した新プラットフォームが不可欠だと確信していました。

V6エンジン+FRでFFなみの広い室内と前後バランスのよい操安や乗り心地性能、空力のよいプロポーションなどすべてをトップクラスとするにはフロントミドシップなのです。

今あるものを作り替えるのではなく、今ないモノを新たに生み出して20年先の将来に備えなければ生き残ることはできないのです。

そして、同時並行してZ33フェアレディZやステージア、SUVのインフィニティFX35&45を共用化しながら作ったのです。


2002年に発売されたZ33フェアレディZは、V35スカイラインと同じく水野氏が主導したFMプラットフォームを採用した

「日本だけのスカイラインから世界に通用するスカイラインへの成長」。

これがフロントミドシップパッケージ搭載スカイラインのテーマでしたし、新車発表会の中で「今後10年以内に世界のFRはこのパッケージを基に作ってくる」と言ったことが今現実になっています。

今の世界のFR車の基本はV35スカイラインからスタートしたのです。

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