R34でふたたびスカイライン開発に携わる
会社の辞令でグループCレース現場に異動となり、新車開発から抜け、外からローレルに近づいたR33スカイラインやブルーバード化したP11プリメーラを見た時の“気持ち”は正直「悟りの境地」でした。
グループCレースがなくなり、新車開発の現場に戻って最初の仕事がR34スカイラインの“車両開発主管”業務でした。
商品の企画をコアとした商品主管とは別に車両開発専門職として私には、ゴーンさんが日産にくる以前から“車両開発主管”という肩書が与えられていました。
この肩書を使って鈴木利男さんと手作りで開発したR34 GT-Rの“Mスペック”は、その後のR35GT-R開発の礎となりました。
『20年先を見据えて作った』V35スカイライン
V35スカイラインでV6エンジンフロントミドシップ(FM)パッケージを提案して開発しましたが、開発当初は、どこの自動車メーカーを見ても急務はFF化やRVブームの対応。
いまさらFR車の新パッケージはないとか、あわせて従来からの直6エンジン主体の別案プラットフォーム開発がすでに始まっており「レース戻りの水野が勝手なことをやっている」など社内では反対の声が多く、ゴーンさんが日産に来なければ潰されていたかもしれません。
ゴーンさんやペラタさんに手弁当と手作りの試乗車に飛び入りで試乗していただき「これこそがグローバルに次世代を担うパッケージング。統合プラットフォームとしてZやスカイライン適用を含め開発しなさい」となったわけです。
こんな経緯もありゴーンさんが来る以前は正体不明な車名「XVL」と名づけました。
その後のマスコミ評論の中では「本当はスカイラインではなかった」だとか「ローレルがどうした」とか……いろいろな話がありましたが、アッパーミドルサルーンですでに市場淘汰しているベンツやBMWの中に割って入り戦うためには世界を見渡した新プラットフォームが不可欠だと確信していました。
V6エンジン+FRでFFなみの広い室内と前後バランスのよい操安や乗り心地性能、空力のよいプロポーションなどすべてをトップクラスとするにはフロントミドシップなのです。
今あるものを作り替えるのではなく、今ないモノを新たに生み出して20年先の将来に備えなければ生き残ることはできないのです。
そして、同時並行してZ33フェアレディZやステージア、SUVのインフィニティFX35&45を共用化しながら作ったのです。
「日本だけのスカイラインから世界に通用するスカイラインへの成長」。
これがフロントミドシップパッケージ搭載スカイラインのテーマでしたし、新車発表会の中で「今後10年以内に世界のFRはこのパッケージを基に作ってくる」と言ったことが今現実になっています。
今の世界のFR車の基本はV35スカイラインからスタートしたのです。
コメント
コメントの使い方