■モビリティの進化に合わせて「基準」や「社会」も進化させられるのか
前段までの反省を踏まえて、今回の一連の発言と「メディアやSNSでの語られ方」について自動車情報専門メディアとしての見解を述べておきたい。
今回、朝日新聞が7月18日付けで豊田会長の上記「今の日本は頑張ろうという気になれない」という発言を報じたことで、SNSと一部メディアで大きな話題を呼んだ。
「(2024年6月に発表された)認証不正問題で国交省から処分を受けてトヨタは呆れている」、「そんなに日本が嫌ならとっとと出て行けばいい」、「いや本当にトヨタが日本から出て行ったら日本経済と雇用は大変なことになる」といった議論に発展。
前段で紹介したとおり、豊田会長自身は、今回の一連の話に「国交省」とは関連させていないし、そもそも認証不正問題についても、発覚当初から「責任は自分にある」と語っている。当然のように厳粛に立入検査と処分を受け入れ、「根絶させるのは無理」と言いながらもグループ全体での情報共有と再発防止に粛々と取り組んでいる。国の認証制度を充分に尊重しているし、「不正は許されない」と何度も何度も語っている。
ここからは認証不正問題の取材を続けている本企画担当者の所感だが、豊田会長もトヨタ関係者も、「(トヨタは国の認証制度に)呆れている」だとか「怒っている」というような報じられかたを決して望んでいないように感じる(むしろ騒ぎ立てることについて、やや迷惑に感じているフシがある)。
望んでいるのは対決ではなく協調だ。
一部では「トヨタは国の基準より厳しい条件で試験していたのに、不正だと騒がれて怒っている」と報じられているが、自動車の衝突安全試験についていえば、大前提の話として「より厳しい条件の試験」をクリアしたからといって「より安全」とは言えない。
たとえば今回の認証不正問題で取りざたされた「後面衝突試験で、衝突させる台車の重量規定1100kgのところ、1800kgの台車をぶつけていた」という件について。
1800kgの衝突試験のほうが、1100kgの試験よりも安全かといえば、そんなことはない。自動車の衝突事故には「相手」がいる。1800kgの衝突に耐えるボディ設計は1100kgの衝突に耐えるボディ設計よりも「相手のクルマへの加害性」が大きくなる。衝突安全試験は「自車の安全性」だけを計っているわけではない。
1800kgの衝突試験と1100kgの衝突試験は、(優劣関係にあるのではなく)それぞれ別の安全基準適合性しか計れない。
こういった、自車と他車、双方の安全性を高める思想を「コンパティビリティ(衝突相手との共存性能)」という。これは1990年代頃に欧州で提案された概念で、もちろん日本メーカーもその重要性は理解している。トヨタだって当然知っている。
だからこそ豊田会長もトヨタ関係者も、「いまの国(国交省)の基準は厳しすぎる」などとは言っていないし、思ってもいない。
では何を考えており、どういう理路で今回のような発言になったか。
国の基準は当然守るべきだし、認証不正は許されない。それは大前提としたうえで、「どういう認証制度や基準値がいいか、国だけでなく社会全体で、自動車メーカーとともに、継続的に考えてほしい」ということ、つまり「自動車メーカーだけでなく、社会全体でモビリティ産業をどういう方向へ進ませるべきか考えてほしい」と言いたいのではないか。
「不正があったか、なかったか」、「基準に適合しているか、していないか」というゼロイチの判断だけでなく、「どういう基準がよいか」を考える機会にすべきなのは明らかだし、そのための仕組みを考える必要がある、という話。
現在、世界の自動車産業は「百年に一度の変革期」を迎えている。
認証不正問題については、(どちらかといえば自動車メーカー側の事情や状況をよく知り、並走してくれている)国交省所管の分野でこれだけの大騒ぎになってしまった。
認証検査については今後各社が丁寧に対応するとして、これがこの先、自動運転や新モビリティとの協調、新エネルギーユニットの普及と(たとえばバッテリーの)リサイクルの問題などを考えると、自動車メーカーは新たに経産省、環境省、総務省、警察庁などとそれぞれ話し合い、擦り合わせをして、協調し、新たな制度や基準を作っていく必要がある。
このような状況で、ひとつひとつ進められるのか。
たとえば他の先進諸国は、すでに国ぐるみ、官民一体で、モビリティをめぐるルールと環境づくりを推進している。そういう国際環境のなかで、日本政府や日本社会はどこまで「モビリティ社会」をバックアップできるのか。
こういった話は、豊田会長に付いて取材に回っていると何度も耳にする。特に海外のイベントに参加して現地で熱烈な声援を受け、自動車関連産業への応援の強さに感動するたびに、振り返って「日本政府や日本社会の、日本自動車メーカーへの対応」について懸念が増すという。
豊田会長が「今の日本は頑張ろうという気になれない」と語った真意は、こうした先々を見据えた議論への期待であり、マスコミ各社や社会全体が「モビリティ社会をどうしたいか」を一緒に考えてほしい、という提案なのだと思う。
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