ラリージャパンの開催や勝田貴元選手の活躍などもあって、日本でラリーというカテゴリーの認知度が少しずつ高まっている。その日本でのラリー人気の立役者である勝田貴元選手の祖父でもある勝田照夫氏と、自動車評論家の国沢光宏氏のトークセッションが行われ、多くの笑いに包まれたのだった
文・写真:ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】まだ見られる!! 富士モータースポーツミュージアムで展示中の往年のラリーカーたち!!!!!(17枚)画像ギャラリーWRCドライバー勝田貴元の祖父と国沢親方のスペシャルトークショー
富士スピードウェイに隣接する富士スピードウェイホテルでは、モータースポーツの歴史を展示する博物館「富士モータースポーツミュージアム」が2022年にオープンした。展示車両は定期的に入れ替わっており、日々多くの来場者が熱い眼差しで酔いしれている姿が印象的だ。
また、2024年11月からは、1970年代から1990年代にかけて歴史的な国際ラリーで活躍したラリーカーを一堂に集めた特別展示「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」を企画展として開催している。
この企画展の一環として2025年3月22日、1970年代の欧州ラリー黄金時代に挑んだラリーストの勝田照夫氏と、自動車評論家の国沢光宏氏によるトークセッションが実施された。
勝田氏は、現在トヨタGRヤリスラリー1でWRC世界ラリー選手権を戦っている勝田貴元選手の祖父で、全日本ラリー選手権でGRヤリスラリー2で参戦している勝田範彦の父である。つまり、親子3世代にわたるラリーリストなのだ。
【画像ギャラリー】まだ見られる!! 富士モータースポーツミュージアムで展示中の往年のラリーカーたち!!!!!(17枚)画像ギャラリー今だから語れる赤裸々エピソードも
トークショーでは勝田氏の生い立ちから現在に至るまでのストーリーについて、国沢氏と掛け合いながら行われた。まずは、トヨタに入社した際のことを語った。
「入社したトヨタ自動車ではクラブに入るのが必須だったんです。そこで一番楽そうなバドミントン部に入部したのですが、すぐにダブルスの世界選手権で2位に入った先生がコーチに就任し地獄を見ました」といったエピソードを披露。会場は笑いに包まれた。
その後、トヨタ自動車製造工業の第3技術部試作課に配属され、観音開きのクラウンの製造に携わったほか、レーシングカーを製造する第7技術部でトヨタ7のプロジェクトにも深く関与していたこと。
また、トヨタ7のクローズタイプであるトヨタ6が存在していたことなども明かされた。
さらに、ラリーに挑戦した際の苦労も語り、「練習で1年間に3台壊してしまいまして。トヨタでクルマを買った場合は給料から天引きなんで、全然お金が入ってこないんですね。妻には迷惑をかけまして、今でも頭が上がりません」と苦笑い。
そのほかヨーロッパにわたってラリーに参戦する際も完全プライベーターだった勝田氏は、
「現地でガソリンを買うんですけど、完走は頭にないから2日分くらいしか買わないんです。その後のことはあまり考えていなくて、3日目以降どうしようとなったことも。けれど、何かしら壊れてしまって、2日目でリタイアすることも多かったです」と勝田氏は振り返った。
【画像ギャラリー】まだ見られる!! 富士モータースポーツミュージアムで展示中の往年のラリーカーたち!!!!!(17枚)画像ギャラリーラリーをもっとメジャーな存在に!!
そんな勝田氏はラリードライバーとして引退した後も、ラリー競技の普及活動に尽力している。なかでも有名なのが新城ラリー。2004年からJAF中部・近畿ラリー選手権の1戦としてスタートし、2007年からは全日本ラリー選手権へと昇格。
その後2023年まで開催され、観客動員数5万人を上回る地域最大級イベントへと成長を遂げたのである。その新城ラリーに変わって。2024年から行われているのが、ラリー三河湾だ。きっかけはラリーモンテカルロだという。
「ラリー三河湾の拠点となる蒲郡市とモナコの雰囲気は非常に似ていました。そこで、実際にモナコに行き、現地の方と交流することもできました。1年目は課題もありましたが、リエゾン区間を見直すなど、2年目のラリー三河湾は多くの歓びの声を聞くことができました」と勝田氏。
ラリーというカテゴリーが、日本でも少しずつ認知されてきた今日この頃。そのバックグラウンドには、勝田氏のフットワークと努力の結晶が深く結びついているのだ。
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