V8の大排気量NAエンジンを積んだFRマシン。きっと多くのクルマ好きが「アメ車」を思い浮かべるはず。
特に「マッスルカー」とよばれる猛者たちは、タイヤのトラクション以上の大トルクを発するエンジンに、燃費なんて気にもしない大胆な設計で多くのファンを生んだ。
近代マッスルカーの始祖ともいえるダッジ・バイパーがついに生産終了。その濃くも図太い生き様をふり返ろう。
文:矢吹明紀/写真:ベストカー編集部
ベストカー2017年10月10日号「写真で見る衝撃の真実」
■90年代に生まれた新世代の”マッスルカー”
ダッジ・バイパーの生産が終了することとなった。そこで改めてバイパーの歩みを追ってみたい。バイパーの開発がクライスラーにおいてスタートしたのは1989年3月のことといわれている。
チームにはかねてクライスラーにおいてアドバイザーを務めていたキャロル・シェルビーも参画したことで、完成の暁には現代に蘇ったシェルビー・コブラ的な一台とすることが計画されていた。
エンジンはピックアップ用に開発していた8LのV10をベースにオールアルミ化したチューニングバージョンが搭載されることが決定。このエンジンのチューニングは当時クライスラーグループだったランボルギーニが担当することとなった。
そして、1990年に最初の試作車が完成、翌1991年にはインディ500において先行量産型がペースカーとしてデビュー。ダッジ・バイパーRT/10として市販が開始されたのは1992年1月のことだった。
バイパーは市販開始と同時に世界中から大きな注目を集めることとなった。ロングノーズ・ショートデッキのクラシカルなロードスター、400hpを発揮していたV10エンジン。
マニュアルトランスミッションのみでエアコンの設定すらないスパルタンな仕様、そのすべてが1990年代の市販スポーツカーとしては異例ずくめだった。
ややノスタルジックなイメージがマニアックではあったものの、概ね好意的に受け入れられたバイパーに新たなモデルとしてクーペのGTSが加わったのは1996年のことである。
このモデルの登場はバイパーが本格的にモータースポーツに進出するきっかけとなった。ターゲットはアメリカン・ルマンと世界耐久選手権である。
ここではフランスのオレカとジョイントしたワークスチームほか、市販レーサーのGTS-Rが複数のプライベートチームで運用され活躍した。
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