バブル崩壊後となる90年代後半は、世の中がクルマに求める価値も大きく変化していった。そこで当時、自動車メーカー各社は新たなニーズを掘り起こすべく、挑戦的なクルマ、新ジャンルとなるクルマたちを数々投入した。
そうしたモデルの多くは、今見ると「なんでこんなクルマが売れると思ったんだ……?」と思ってしまいがちだが(失礼!)、当然、新車として開発し、発売されるのには相応の理由も事情もあった。
中にはもちろん大ヒットを収めたものもあったが、時代に翻弄され、「あだ花」となり、散っていった(一代限りで生産終了となった)ものも多い。
今回は、そんな日の目を見なかったクルマたちを紹介したい。
文:大音安弘
■日産バサラ 1999~2003年
CMで、「YES」の往年のヒット曲が印象に残った日産バサラは、「ダンディ・ミニバン」をコンセプトにカッコいいパパの乗る高級ミニバンとして売り出した。
ただ中身は、前年の1998年に投入された新型ミニバンのプレサージュをベースにしたもので、メカニズムや装備などは基本的には同じ。最も大きな違いは、前後マスクで、縦格子型グリルを備えた専用フロントマスクのために、全長は+40mm拡大されていた。
高級感をウリとし、価格もプレサージュより高めに設定。その狙いには、プレサージュとエルグランドとの間を埋めるものでもあった。
しかしながら、化粧直しだけで高級感を繕ったバサラがエルグランドの弟分が務まるはずもなく、同クラスの王者オデッセイどころか、元ネタであるプレサージュにさえ完全に食われてしまう状況に。
またブランド戦略とはいえ、他のMPVなどと同様に、Kid’sバージョンまで仲良く設定するなど、コンセプトに反する動きも見せた。
結果、デビュー時以上の独自性を打ち出すこともなく、4年で引退。「大人の男ミニバン」というアイディアは良かったと思うのだが、バブル崩壊の余波があった時代もあり、少々、制約が多すぎたのかもしれない。
■日産ティーノ 1998~2003年
日産の新しいファミリーカーとして提案されたのが、1998年12月デビューのティーノ。「ティーノ・プロポーション」と呼ぶ特徴的なプロポーションは、いわゆるショートサイズミニバンのスタイルであった。
サニークラスのコンパクトカーながら、全幅を広くした秘密はシートアレンジにあり、前後ともに3名乗車のベンチシートを備えていた。
上記はミスタッチではない。「前席」も3名乗車のベンチシートだった。
快適なキャビンを謳い、前後ともに中央席を倒すとアームレストに変身。さらに後席は全て独立式で200mmものロングスライドが可能。さらに中央席を取り外し、内側に寄せることでキャプテンシート風に使えるなど、アイディア満載であった。
また走りのよさもアピールしており、1.8Lと2Lのツインカムエンジンを搭載し、パワーにもゆとりを持たせていた。
革新的なファミリーカーであったにも関わらず、ワイドなボディ幅と立体駐車場でネックとなるややハイトな身長が災いしたのか、ヒットとはならず、一代で使命を終えることに。
当時、日本でも放映され、人気だったMr.ビーンをCMキャラクターとしたのも、個性的なキャラクターだけを強調しただけだったのかも。
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