■ホンダ・ドマーニ 1992〜2000年
ホンダがシビックのコンポーネンツで開発した日本専売モデルの小型セダンが、1992年に登場したドマーニだ。基本を共有しながらも、バブル期開発もあって完全専用内外装を持つ。
シビックよりも落ち着きあるフォーマルさを備えていた。
実用性も高く、キャビンはシビック・フェリオよりも広い上、ラゲッジルームは418Lを確保していた。
1997年に2代目に進化。シビックベースであることは変わらなかったが、不況の影響もあり、見た目は、前後マスク以外はほぼシビック・フェリオのまま。内装はシート地や装飾こそ上級感が演出されていたが、基本デザインはフェリオである。
このため、初代の築いた独自性が完全に失われ、単なる年配向けの小型セダンに。そして、シビックのフルモデルチェンジのタイミングで消滅。わずか3年の短命と、なんとも不幸な運命をたどった1台である。
■マツダ・ランティス 1993〜1997年
バブル期のマツダ挑戦的な姿勢を強く感じる1台がランティスだ。
新たな4ドアハードトップ像を築くべく、4ドアハードトップスタイルの「セダン」と5ドアハッチバックの「クーペ」の2タイプを設定。それぞれに専用の欧州拠点が仕上げた個性的かつスタイリッシュなデザインが与えられていた。
エンジンは1.8Lの直列4気筒DOHCに加え、2.0LのV6DOHCを設定するなど、マツダらしい走りのよさを意識したクルマ作りがされていた。2LでV6と、今ではなかなか考えづらいチャレンジングなエンジンだった。
1996年の衝突安全基準適合第1号に輝いたことも話題となり、CMでも積極的にPRされた。
このように独自の世界観と優れた基本性能を持ち合わせたクルマであったが、新車市場ではウケが悪く、わずか4年で販売を終えてしまった。しかしながら、全日本ツーリングカー選手権に参戦するなどクルマ好きには強く記憶に残る一台でもあった。
スタイリッシュな4ドアが久しい日本車だけに、ぜひマツダに再挑戦して欲しい。
■トヨタ・キャバリエ 1996〜2000年
「なぜ日本はアメ車を買わないんだ!」とお怒りのトランプ大統領に教えてあげたい。売ってみたけど失敗したんです。その証拠がある。それがトヨタ・キャバリエだ。
日米自動車摩擦の緩和を狙い、トヨタとGMが協力。GMキャバリエをOEM供給することで、日本での新たなアメ車需要拡大を図った。
トヨタとGMも単なるOEMでは売れまいと思ったか、エンジンはキャバリエ最上級の2.4L直列4気筒DOHCに専用チューニングを実施。さらに足回りも日本向けにリセッティング。
その魅力を伝えるべく、CMキャラクターには、アメカジ大好きの所ジョージまで起用。ボディも4ドアセダンと2ドアクーペの2種類を用意した。これで準備は万全と思えたが、ふたを開ければ鳴かず飛ばず……。
その尻拭いか、はたまた超絶ディスカウントがあったかは定かでないが、その後、覆面パトカーや沖縄のレンタカーに大量導入されていた。
天下のトヨタがプロデュースしてもダメだったという現実。それならアメ車らしい世界観を守り、そこをリスペクトするファンにのみ買ってもらった方が、WIN-WINと思うのだが……。
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