■かつての埋立地が都民にもたらしたもの
また、レインボーブリッジは、上下2段構造になっており、下段には一般道と新交通システム『ゆりかもめ』が通っている。
レインボーブリッジによって都心部と繋がれたお台場地区は、かつて13号地と呼ばれた埋立地で、バブル期まではほとんど更地だったが、レインボーブリッジの開通によって、はじめてまともな交通網ができ、臨海副都心として発展する基礎を得た。
フジテレビ本社や東京ビッグサイトなど、現在の湾岸地区の様々な施設は、すべてレインボーブリッジあってのものだ。
レインボーブリッジによって生まれた臨海副都心は、東京に海をもたらした。レインボーブリッジが開通するまで、東京の重心は、西へ西へと移動していた。その中心が新宿副都心で、東京湾に近い側は寂れる一方だった。
当時の東京は、「水辺のない街」と言われていた。実際には川も海もあるのだが、隅田川や荒川をはじめとする河川は、すべて街と分離されたドブ川で、海岸沿いは、憩いとは無縁の工業地帯やゴミの埋立地(夢の島や若洲)。東京の水辺は臭くて汚く、それを避けるように、都市全体がゆっくり西へ移動していたのである。
しかし、レインボーブリッジができたことで、東京に海ができた。正確には海と接する場所ができた。水質も改善されていった。
レインボーブリッジは、東京港をまたいで渡る。この時、誰もが海の存在を感じる。対岸のお台場には人口浜辺等が作られ、都民の憩いの場となった。
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