日本のクルマ界においてこれまでさまざまなことが規制されてきたが、クルマ好きにとって印象深いもののひとつに登録車の280馬力規制と軽自動車の64馬力規制がある。
どちらも厄介なのは、法律などで規定されているわけでなく、メーカーの自主規制というスタンスだったことにある。
登録車の280馬力規制は現在では存在しないが、軽自動車の64馬力自主規制はいまだに不文律のように存在している。
馬力規制は日本車、特にスポーツカーの進化、国際的競争力を阻害した、といわれているが本当にそうなのだろうか? 自主規制がなく、馬力が青天井だったら、違う世界が展開されていたのか?
そのいっぽうで得たものはないのか? 馬力規制について鈴木直也氏が独自の視点で考察する。
文:鈴木直也/写真:LEXUS、NISSAN、HONDA、SUBARU、SUZUKI、ベストカー編集部
280馬力規制は行政指導という名の強制
インターネットの発達で、最近はなにか不都合なことがあるとすぐ“炎上”となりがち。
政府や行政機関の“中の人”はそういう不祥事を嫌うから、21世紀になって政策の決定や実施にずいぶん透明度が増したように思う。
ところが、ひと昔前はそうでもなかったのです。
例えば、1989年のZ32型フェアレディZから始まった280馬力自主規制。本来の輸出仕様では300psオーバーとなるスペックを、当時の運輸省が280psに抑える行政指導を行ったとされている。
敢えて「とされている」と書いたのは、「行政指導」というのがきちんとしたルールのない、一種の談合みたいなモノだからだ。
法令にも省令にも明文化された規定は存在しないのに、役人が口頭で「意向」を伝えると、メーカー側が「自主規制」で応じる。
当時はバブル経済まっ盛りで、自動車業界も浮かれていたことは確かなのだが、だからといって運輸省の一部の役人が「馬力競争はよろしくない」と圧力をかけるのは越権行為。公益を害するというなら、きちんと法令や省令を整備してから規制を実施するのが本筋ですよね。
280馬力規制は日本のスポーツカーの国際的競争力にブレーキをかけた
さて、まさにバブルの頂点で馬力の上限が決められちゃったわけだが、これによって影響を受けたのは当然ながらスポーツカー/高性能車に属するクルマたちだった。
前記のZ32フェアレディを皮切りに、R32GT-R、NSX、GTOなど、この時代は高性能スポーツカーが怒涛のごとくデビューした日本車の“ヴィンテージ・エイジ”だが、これらはすべてカタログ280psの横並び。
当時の自動車メディアで仕事をしていたぼくらクルマ好きの立場からするとはなはだ面白くない。
「なんで運輸省の小役人ごときにクルマの進化をスポイルされなきゃいけないんだ?」と、憤懣やるかたない気持ちでしたね。
しかも、この時代の日本の高性能車ラッシュは欧州勢に大きな刺激を与えていて、たとえばフェラーリは328→348→F355と矢継ぎ早に進化を遂げるし、ポルシェも旧態依然とした930から964→993へと大きく脱皮を果たす。
これらは日本車に対する危機感が原動力で、惰眠を貪っていた欧州の老舗をビビらせるくらい、この時代の日本のスポーツカーは技術的に最先端を走っていたのに、いちばんいいところでブレーキをかけちゃった。これは、かえすがえすも残念なことだったと言わざるを得ません。
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