トヨタは日本市場において、時おり先発の競合車をライバル心むき出しで潰しにかかったモデルをリリースすることがある。
古くは大衆車というジャンルを開拓した日産サニーの初代モデルに対し、「サニーを全体的に少しづつ上回る」という狙いで、『プラス100ccの余裕』のキャッチフレーズとともに初代サニーに勝利した初代カローラ。
さらには上級小型車というジャンルの先駆車だった初代日産ローレルを駆逐した初代マークII(正式な車名はコロナマークII)が浮かぶ。
また2000年代では成功したホンダストリームに対しコンセプトだけでなくホイールベース以外の同一のボディサイズで、初代ストリームのマーケットをゴッソリ奪った初代ウィッシュも記憶に残る(その反動で初代ストリームは初代ウィッシュが登場した後のマイナーチェンジで、「ポリシーは、あるか。」という挑戦的なキャッチコピーを使った)。
そんな「トヨタが本気でライバル潰しを目論んだクルマ」を振り返る。
文:永田恵一/写真:TOYOTA、NISSAN、HONDA、SUZUKI、SUBARU
初代アリスト
デビュー:1991年
ターゲット:初代日産シーマ
1988年に登場した初代シーマはその前年に登場した8代目クラウンに「3ナンバーサイズのワイドボディ車が設定される」という情報を得てから開発されたモデルで、そのため8代目クラウンが出る直前に登場した5ナンバーサイズを基本としたY31型セドリック&グロリアのボディを拡大しより豪華にしたモデルだった。
しかし初代シーマは当時日本最強の255psを誇った3L、V6ターボによる強烈な加速やスポーティなスタイルに加え、「高級なイメージを高めた」点などが追い風となり、「クラウンとは違ったクルマになる」という強い志を持ったY31型セドリック&グロリアともに、王者クラウンを相手に大善戦した。
1991年の9代目へのクラウンのフルモデルチェンジのタイミングに、初代クラウンマジェスタとともにクラウンファミリーに加わったのが初代アリストだ。
初代アリストはジウジアーロによるスポーティなデザインに加え、初代シーマ以上の動力性能を実現するために新開発された280psの3L、直6ツインターボを搭載。
1991年にはセドリック&グロリア、シーマもフルモデルチェンジしたのだが、シーマはV8エンジンを搭載するなどビッグセダンに移行したこともあり、初代アリストも含めたクラウンファミリーは再び王座に返り咲いた。
90型マークII三兄弟のツアラーV
デビュー:1992年
ターゲット: 8代目日産スカイライン(R32)
スカイラインは、長年トヨタでもなかなか牙城を崩せなかった「スポーツセダン」という高いブランドイメージを持つ数少ないモデルだった。しかしスカイラインは1985年登場の7代目モデルで大きく重いクルマとなり、一気にブランドイメージを落としてしまった。
7代目スカイラインの大失敗による開き直りもあり、1989年登場の8代目モデルは「スカイラインらしいスポーツ性」を取り戻し、17年ぶりとなるGT-Rの復活もあり成功を納めた。
その8代目スカイラインの成功に影響され登場したのが、1992年登場の90型マークII三兄弟に設定されたツアラーVである。
ツアラーV以前もマークII三兄弟にはGTツインターボというスポーツモデルが設定されていたが、GTツインターボは8代目スカイラインのような本格的なものではなかった。
しかし90型マークII三兄弟のツアラーVは280psの2.5L、直6ツインターボを搭載しただけでなく、車体やサスペンションもスポーツセダンに相応しい強化され5速MT車も設定した。
翌1993年にはスカイラインも9代目モデルにフルモデルチェンジされるのだが、8代目スカイラインは「室内の狭さなどユーザーを絞り過ぎた」という反省もあったのか、再びボディサイズを拡大しただけでなく、リニアチャージターボというコンセプトを持つ2.5L、直6ターボにパンチがないなど、スカイラインは再び自滅。
もちろん90型マークII三兄弟のツアラーVがあのスカイライン相手に頑張ったのは事実にせよ、結果的にスポーツセダンというスカイラインのアイデンティティまで奪うことに成功した。
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