鈴鹿サーキットで開催された「SUZUKA 10H(鈴鹿10時間耐久レース)」。世界規模のFIA-GT3マシンの耐久レースとなった。その現場に若きレーシングドライバーがいた。
彼の名は笹原右京。22歳。群馬県生まれ。2003年レースデビュー、2015年フォーミュラールノー2.0(シリーズ3位)、2017年FIA-F4(シリーズ2位)という実績を誇る。
かつてはヨーロッパでフォーミュラルノー2.0で名を馳せたドライバーだ。そんな彼は現在全日本F3で走る。夢は昔からF1参戦、そしてワールドチャンピオン。
F1には圧倒的に近道だったはずのヨーロッパから帰国し、なぜ日本で走るのか? そして今後のキャリアはどうなっているのか、迫った。
文/写真:ベストカーWeb編集部
■鈴鹿で得たもの、ホンダドライバーの自覚
2018年8月26日に行われた「鈴鹿10H(鈴鹿10時間耐久レース)」。ヨーロッパをはじめ多くの地域から、GT3マシンを擁するチームが鈴鹿に集結した。賞金総額1億円というビッグレース。
日本勢の1台、カーナンバー34、Modulo Drago Croseが走らせたKenwood NSX GT3。スーパーGTでの廃車からの復活ということで多くのメディアが取材に訪れた。
そのピットに見慣れない青年がいた。その彼こそ笹原右京選手。しかし彼はドライバーとしてではなく、ひとりの見学者として鈴鹿にいた。
実は笹原選手、2016年にヨーロッパより日本に帰国。FIA-F4を経て、ホンダの「HFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)」のドライバーとして全日本F3に参戦している。
その縁もあり、今回の見学が叶ったのだが、彼が鈴鹿にいた理由は「学びたい」からだという。
「やはりホンダドライバーの先輩として34号車に乗る道上さん、小暮さん、そして大津さんの走りを見たくて。得るものは多くありました」と語る。
世界の強豪が走る鈴鹿10Hで気づいたことを聞くと、笹原選手はさらにこう続けた。
「予選の結果発表が抗議で1時間延びましたよね? そして20台の最終予選の出走枠が急に24台になったり。ああいうのがちょっと懐かしくて」。
やはりヨーロッパ仕込みの走り方、レースへの姿勢が気になったようだ。
「もしかして、ヨーロッパに戻りたい?」と思わず聞いてしまった。
「はい、できる限り早く」。間髪入れずに彼は答えた。
■ヨーロッパに戻りたい、現実的な一歩とは
「ヨーロッパから日本に戻った理由には資金難があります。そこをホンダさんが拾ってくれて今があります。だけれど戻れることならばすぐにヨーロッパに戻りたい。それが本心です」。
ハッキリと笹原選手は言い切った。
ヨーロッパでフォーミュラルノー2.0に乗って表彰台も獲得した選手が、日本で入門カテゴリーのF4に乗って、その1年後の2018年にF3にステップアップというのはかなり遠回りにも思える。
それでも彼が日本を選んだのにはレースを続けるための選択。決して順風満帆とはいえない彼のレーシングキャリア。当然、資金が底を尽けばレースはできない。
現在ホンダのバックアップがついたとはいえ、彼がおかれている立場はそう楽観的なものではない。
参戦中のF3では冷静なレース運びで実力を徐々に発揮してはいるものの、同じくHFDPから参戦している阪口晴南選手、大湯都史樹選手を圧倒できていない。
さらに年下の牧野任祐選手、福住仁嶺選手がF1のひとつ手前のカテゴリーであるF2で実績を残し始めている現状もある。
「とにかくひとつでも上の順位で勝ちたいのは当然です。チームもいいクルマを用意してくれていますし。あとはひとつでも上を、そして優勝をしないと。結果を出さないと次のトビラが開かれませんから」。
ヨーロッパへ戻りたいという希望、そして現状として母国の日本でも胸を張れる結果を出さなければならないというギャップに、大きく悩んでいる様子でもあった。
「ヨーロッパはグレーゾーンでも少しでもメリットがあるならどんどん攻めてくる。鈴鹿10Hでも海外勢はそんな戦いぶりでした。それがいいかどうかは置いといて、みんなそうやってのし上がるんです。
僕にはそんな場所で戦っていた過去もあるし、現地チームとの関係もある(編註:当時笹原選手は実績が認められ、ヨーロッパのチームからオファーがありつつも、資金難で帰国を決意している)。
だから少しでも早くまた挑みたい。そのために今できることはF3で結果を残すこと。チームの皆さんの思いに応えること。それしかありません」。
9月9日(土)~10日(日)は全日本F3が岡山国際サーキットで開催される。中止となった第9戦の代替レースを含む、3レースが週末で行われる。笹原選手がどのような活躍を見せるのか、期待だ。
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