『ベストカー』が1978年に創刊してから2000年代前半まで大変お世話になった、「竹ちゃんマン」こと竹平素信氏を、現役から気持ちよく卒業していただこうと始まったプロジェクト。多くの賛同者を得てこのたび実現しました。クルマは竹ちゃんマンの脂が乗り切っていた頃にドライブした4代目カローラセダンだ。
文/ベストカー取材班、写真/PHIRAKHUP PHETKRUEA、ベストカー
ラリーにのめり込ませたTA22セリカとオベ・アンダーソン
竹平さんとラリーの出会いは、トヨタのメカニックとして働いていた時にオベ・アンダーソンの横に乗り、そのドライビングに圧倒されたところから始まる。
当時トヨタはTA22型セリカでRACラリーに出場すべく開発を重ねていたが、浅間サーキット(グラベル)でアンダーソンの横に乗った時の驚きが忘れられない、という。
「とにかくよ、オベは片手でステアリングを操作し(当時パワステはない)、信じられんくらい手前からフェイントかけて、どでかいドリフトにもっていくんじゃ。こっちはびっくらこいてよう、ビーチフル!いうたら『デイスイズノーマリー』と涼しい顔なわけ。その時ワシもラリーでメシを食えんかなとなんとなく思ったかもしれんのう」
『ベストカー』のアドバイザーになった頃の竹平さんは、全日本のトップドライバーで、その華麗なドリフトを見ながら国沢光宏先輩や大井貴之先輩がコソ練したというのは事実で、二人が運転が上手くなったのは竹平さんのドライビングスタイルに根っこがある。
前置きが長くなった。
今回参戦するタイラリー選手権のレッキ(本番前の試走)を終えた竹平さんは渋い顔だ。
「ひでえ道じゃ。滑るし、上下の入力もきついのう。あとブッシュもやっかいじゃ」
全面赤土で轍もできやすいグラベルの路面は、ハイスピードのクロスカントリーのよう。
タイでレンタルした40年前のカローラセダン(KE70、1300ccのGL)にアルテッツアの3SGEと6MTを搭載した「KE70エボリューション」とでもいうべきモデルでどう戦うのか、ライバルたちは地元ドライバー、不利は否めない。竹平さんのテクニックでどこまでカバーできるか興味深いところだった。
実は竹平さんは弊社から1983年に『俺だけのラリーテクニック』という本を書いていて(ラリードライバーには必読書だった)、「もし完走できなかったら『間違いだらけのラリーテクニック』に訂正せんにゃならん」とチームのみんなを笑わせてくれた。
「昔話をしていたら、なんだかワシも、その気になってきたぞ! お~いかん、いかん。欲を出した途端、クルマはコースアウトするのがラリーの常。冷静沈着、平常心でいこうぞよ。目標は完走じゃ!」
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