立て続けのトラブルが体力を奪っていく
そして迎えたSS1。実車に乗るのは初めてというまさにぶっつけ本番だったが、なんと途中でパワステがトラブルを起こし、クーラーも故障。35度を超える気温に土煙で窓も開けられないなか14.6kmをどうにか走り切った。
「正直きつかったぞ。ゴールが遠くて最後はふらふらじゃった」
コドラで、弟子でもある鎌野賢志さんに聞くと、「一度ミスコースがありましたが、けっこうヤバい場面も乗り切っていくところは、やっぱりさすがですね」と話す。オンボードのビデオを見ると、細かなステアリング操作をして、ブレーキングで荷重移動させながらロスなく曲がっていくのがわかる。
もうすぐ75歳、参戦ドライバーでは最長老どころか、周囲から見るとこの爺さん運転できるんかい?なはずだが、そのテクニックと現場合わせの運動神経にはチームスタッフも驚くばかりだ。
そしてクルマはぼろいが、4代目のカローラセダンのスタイリッシュなデザインと豪快な加速、そして気持ちいいサウンドには見るほうももうっとりさせられる。
竹平さんが全日本ラリーを戦ったTE71は1979年4代目のカローラセダンのGTバージョン。2T-G型、115馬力エンジンを搭載し、955kgの軽量、そしてFRと、楽しいに決まっているスポーツセダンだ。
モリゾウさんが初めて愛車として手に入れたクルマということからも、人気だったことがうかがえる。こんなクルマが現代によみがえるはずもないが、タイでは、そんな夢を見させてくれる。
SS2の19.6km、SS3の9.5kmをリアデフからの振動やジャダー(ステアリングからの振動)に悩まされながらもなんとか乗り切りサービスに帰ってきた。
「クルマが攻めるようにできとらんからね。道も悪いし、今回はしょんない。完走だけ、どうにかせにやならんよ」
ここまでくればあと2本、我々も祈るような気持ちで送り出した。
エンジンストールで無念のリタイア
ところが…………SS4の残り2kmほどのところでオーバーヒートし、エンジンストップ。SS4に入って3回くらいエンジンが止まり、ついに再始動できなくなってしまった。悪路にクルマが音を上げたのだ。
「ごまかし、ごまかし、走ってきたが、最後はどうにもならんかった。みんなゴメンね」
誰を責めるでもなく、さっぱりとそう話す竹平さんはなんともかっこよかった。
実はタイ遠征の資金は60人の方々からのサポートで成り立っているのだが、リタイアした竹平さんを責める人もまた誰もいないはずだ。
「応援してくださった皆さん、ありがとうございました。ラリーのすべてが詰まったような濃厚な体験で、若い頃にがむしゃらに走った海外ラリーを思い出させていただきました」
失礼ながらジジイになっても皆に愛される竹平素信の秘密はその清貧さにあるのだろう。5日間ほど一緒に行動し改めてそう思った。
『竹平素信、最後の闘い』、これで終わりにするには残念すぎる。映画ランボーで『最後の戦場』の続編に『ラスト・ブラッド』があったように、続きがあってもいい。いや見てみたい。
竹平素信プロフィール/1947年8月19日愛知県新城市生まれ。トヨタ自動車でメカニックとして活躍。1972年オベ・アンダーソンがTA22セリカでクラス優勝を飾ったRACラリーに帯同し、ラリーの凄みを肌で感じる。その後、トヨタが石油ショックを受け、チーム・トヨタ・アンダーソンにWRC活動を委託することになり、トヨタを退社。マジョルカに入社しラリードライバーの道を歩む。1977年TE27で走ったRAC を皮切りにパルサーでモンテカルロ、サンレモをマーチスーパーターボ(日本人初のクラス優勝)など海外ラリーに果敢にチャレンジした
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