「ノーパワー!」の悲劇を救ってくれた!! ル・マン地元住民の誇りと温かいハナシ

■コースマーシャルとしての責任感

ル・マンはいつでも大きなドラマを生み出す
ル・マンはいつでも大きなドラマを生み出す

 その後、ジルベール氏の予言(?)どおりトヨタは勝利を重ね、コロナの間もカミュ家からの年明け挨拶メールには必ず「今年も(は)6月に会えますか」と書かれていた。

 カミュ夫妻の心配りに触れるたび、単なるホスピタリティやお二人の品性の良さだけではない何かを感じていたのだが、3年ぶりに訪問し、翻訳アプリの助けを多いに借りて旧交を温めた際に、その謎が解けた。

 イヴリン夫人が生粋のル・マン市民であることは知っていたが、実は夫人の父親が1954年から20年間、ル・マン名所の一つ、ダンロップブリッジ下のコーナーポストでトラックマーシャルを務めていたのだという。

「父はレースの大ファンでね。自分でレースに出場することはなかったけれど、毎年6月、24時間レースの時は仕事を休んでマーシャルをしていたわ」。

 マーシャルは完全無給のボランティア活動だ。レースの流れを見つめ、コース上の些細な変化にも気を配り、事あらば機敏な対応でマシンを走らせるドライバーたちに危険を知らせる。自身も危険とも隣り合わせで、なまなかな心構えでできるものではない。

「いまよりもずっと大らかな時代で、禁止事項もうんと少なかったから、父は私と妹、弟をコースサイドに連れていってくれたの。ダンロップ・ブリッジの陰から隠れて見ていたのだけど、すぐ手の届きそうな2メートル先をマシンがものすごいスピードで走って行くのは、ものスゴい迫力だったわ」。

 フォードとフェラーリがガンガンにやり合っていた時代のことだ。間近で見るマーシャルのお父さんはカッコ良かった?と聞くと、そんな当たり前のことをという表情で、

「とても素敵だったわ」と返ってきた。

代々家族が守るポストもあるが、近年はヨーロッパ各地から応援がくるという
代々家族が守るポストもあるが、近年はヨーロッパ各地から応援がくるという

 いまル・マン24時間レースの運営には約2千人のマーシャルが必要だという。ル・マンのあるサルト県だけでなく近隣の県や郡にも募集をかけるものの人集めはなかなか大変で、近年は外国のサーキット・マーシャル(スパあたりか)の応援も仰いでいるという。

「トラックマーシャルは特別な訓練が必要で、誰でもできるわけじゃない。父は責任ある重要な役割でレースを支えていたのよ」。

 子どもたちをサーキットに連れて行き、こっそり或いはおおっぴらに自分の仕事を見せていたのは、おそらくイヴリン夫人の父親だけではなかったろう。30年ほど前のダンロップ・タイヤのTVコマーシャルにあった、父から子、そして孫にレースを支える役目を伝える家族は、いまも約14キロのサルト・サーキットのあちこちにいるに違いない。

「私自身はマーシャルになろうと思ったことはないわ。16歳の時、小遣い稼ぎにケータリングのアルバイトをしたことがあるだけ」と振り返るイヴリン夫人だが、実はル・マンを通してその母からもっと大きなものを受け継いでいた。

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