“売れてる車”は販売台数が多い。ということは、多くのユーザーに支持されていることの証左であり、だからこそ商品としてもよく出来ているはず。……が、売れているのになぜかクルマ好きからの関心が薄く、どこかクルマ好きの琴線に触れない車は、今も昔も存在する。それは何かが足りないからなのか? それとも、ただの偏見なのか? “クルマ好きの車”に対して、そうなれない4台の人気車を題材に考えてみたい。
文:伊達軍曹/写真:編集部
2大人気コンパクトより実力ではデミオ、スイフトなのか?
■ノート e-POWER
ハードウェアの面で「足りないもの」はほとんどない。
エンジンが発電した電気によりモーターを駆動するシリーズハイブリッドシステムを「そんなの昔からある技術じゃないか」とディスる評論家もいる。
だが、このサイズの市販車でそれを量産化した日産の技術と気合は大いに称賛されるべきで、いかにも“EVらしい”出足の鋭さと、その後に続くナチュラルな走行フィールは「かなり気持ちいい!」とさえ言える。
ならば、この車がいわゆるカーマニアからの支持を得ていない理由は「単なる偏見」に過ぎないのかといえば、そんなこともない。デザインに問題がありすぎるのだ。
良くできた大衆実用車としてのプライドを「シンプルな造形」によって表現すればよかったのだが、フロントフェイスはごちゃごちゃと装飾過多。
インテリアも、大衆的な樹脂製ダッシュボードのなかに唐突に現れる、いかにも高級ぶったピアノブラックのパネルが、全体を混乱の極みへと導いている。
デザイン担当者がイタリアあるいはフランスにしばらく留学し、「おしゃれとは何ぞや?」ということを学んだうえで再びノートe-POWERをデザインすれば、カーマニアの琴線にも触れる傑作となるだろう。
■トヨタ アクア
アクアに関しては「ただの偏見か、それとも何かが足りていないのかの判断は、その人の見方と立場によって変わる」といったところだ。
アクアは非常に良くできた車である。街乗りも高速巡航もそつなくこなし、ワインディングロードも意外と得意。
そして、小ぶりなボディであるにもかかわらず居住性はすこぶる良好で、JC08モード燃費はいわずもがなの34.4km/L。
前期型のデザインは、特にリアコンビネーションランプにセンスのなさを感じたが、2017年6月のマイナーチェンジで同箇所は引き締まったニュアンスのデザインへと改められた。
そんな“良くできた車”を「つまらん」といって切り捨てるのは、カーマニアという人種の偏見であり、傲慢であるとも言えるだろう。
だが実際、アクアは「よくできた安楽な車」であるがゆえに、下手をすると運転していること自体を忘れそうになる瞬間もある。
そこがスズキ スイフトやマツダ デミオとの大きな違いであり、カーマニアがアクアをあまり支持しない理由だ。
しかし、マニアではない普通の人からすれば、「それの何がいけないわけ?」ということになる。これはもう機械としての出来・不出来や、どちらが良い・悪いの問題ではなく、一種の「民族紛争」なのだ。
CX-5、フォレスター派の俎上にハリアーが上がらない訳
カーマニアがハリアーに対してあまり良い印象を持っていない理由は「偏見が7割、事実が3割」といったところだろう。
自動車の製造販売ビジネスにおける圧倒的な強者であるトヨタの、超人気モデルであるハリアー。
ディープなマニアは別として、ライト層からの支持は圧倒的。……この図式は要するに、昭和のプロ野球における「読売ジャイアンツのスター選手」のようなものだ。
例えば、当時(全国的には)不人気だった広島カープのディープなファンからすれば、「実力はウチの○○選手のほうが断然上なのに、ジャイアンツってだけで、実は大したことないXX選手がチヤホヤされてやがる。あぁ気に入らねえ! 世の中、見る目のないやつばっかで嫌になるぜ!」と、どうしても思ってしまう。
それと同様のことを、CX-5やフォレスターなどの価値が理解できるコアなカーマニアはハリアーに対して思うわけだ。
これはまぁある種の偏見であり、やっかみとも言えるわけだが、もちろん単なる偏見ではない。
コーナリング時の4輪への荷重のかかり方など、マニアックな視点で見るならば「やはりCX-5のほうが好ましい」と感じる人も多いはず。そういった意味で、マニアの面倒くさい意見もある程度正しいのだ。
コメント
コメントの使い方