本誌『ベストカー』にて好評連載中の「有名人が語る 私とクルマの関係」。今回は芸能界きってのスバリスト、爆風スランプのサンプラザ中野くんが登場だ! デビュー40周年を迎えて再集結した爆風スランプのフロントマンとしてバンドを動かし、自身のソロ活動も精力的にこなすサンプラザ中野くん。スバル車に目覚めたエピソードや自動車文化などを語っていただいた!
文:相田武将/写真:山田泰弘/構成:伊藤明弘
■スノボにハマり、スバルと出会った!
1989年、爆風スランプとして「Runner」の爆発的ヒットを飛ばした頃、その時のサンプラザ中野くんの愛車はドイツ車。仕事の移動やプライベートでも活躍して、快適で何の不満もなかった。
しかし、ハードなスケジュールをぬってスノーボードにハマると、事情は一変した。長野県などの雪深いスキー場へのスノードライブはFR車には不向きで、幾度となく雪道でのスタックを経験した。また、かねてからの山道でのパワー不足も不安の種であった。
「それならパワーのある4WDに乗り換えるしかない。4WDならスバルだ!」
と思い、インプレッサWRXスポーツワゴンの購入に踏み切った。
【画像ギャラリー】ソロでもバンドでも大活躍! サンプラザ中野くん 秘蔵写真大公開!(11枚)画像ギャラリー■スバルに乗り続ける理由
学生時代に自動車免許を取得してから日本車、輸入車を約10台乗り継いで37歳の時、スバルと出会った。スバルに乗り換えてどうでしたか? とお聞きしたところ、
「日本の狭い山道を走るには、スバルが一番。高い技術力に裏付けられた安全性と品質、そして優れたコストパフォーマンス。こんなクルマはほかにないですね」
しかし、サンプラザ中野くんは、現在の愛車のレイバックをとても気に入っているのに、あまり長く乗り続けないと語る。
「常に最先端の自動車技術を体験したいんです。現在、運転サポートシステムなど安全技術は凄まじい進化を遂げています。それを実感するには、新技術が搭載された新しいスバル車に常に乗り換える必要があります」
当初は、レイバックに標準装備されている高度運転支援システム「アイサイトX」を少し疑って運転していたらしい。
「お前、ちゃんと止まるよな。平気だよな!?」
などと、レイバックに呼びかけながら運転をしていたそうだ。
■「夜空の星のように輝き、走り続けたい」
「僕の音楽の基本理念は、忌野清志郎さんやクイーンのフレディ・マーキュリーさんです。同じように僕にとってクルマや日本のもの造りの定点、基本がスバルですね」
スバルは、人・社会・環境の調和を目指し、「安心と愉しさ」を提供している。社名は「六連星(むつらぼし)」とも呼ばれ、おうし座の中にあるプレアデス星団から命名された。
サンプラザ中野くんは「自分も夜空の星のように輝き、走り続ける困難と素晴らしさを放ちたい」と語る。
何年か経つとまた進化した安全技術がスバル車に搭載されるだろう。その時には、きっとどこかで、愛車と対話しているサンプラザ中野くんに出会えるに違いない。
■サンプラザ中野くん Profile
2年間のアマチュアバンド活動を経て、1984年に爆風スランプのヴォーカルとしてデビュー。パワフルで奥深いサウンドにユニークで斬新なパフォーマンスが話題を呼び、若者を中心に圧倒的支持を得る。1989年「Runner」の爆発的ヒットにより、さらに幅広いファンを獲得。15周年を迎えた1999年4月に爆風スランプは惜しまれつつ活動休止宣言。
2008年1月から「サンプラザ中野くん」に名前をリニューアルし、ロック歌手として活動している。今年、デビュー40周年を迎えた爆風スランプが26年ぶりの再集結を機に新曲、ベストアルバムを次々にリリース、ライブツアーも開催した。
■出身地:山梨県(千葉県育ち)
■生年月日:1960年8月15日(64歳)
■血液型:B型
■身長:180cm
■資格:普通自動車免許
■趣味:健康・ヴィーガン・阪神タイガース
■Instagram:@sunplazanakanokun
■愛車経歴:
・1〜20:いすゞ ジェミニから始まり約20台の国産車&輸入車を所有。
・21:スバル インプレッサWRX スポーツワゴン/color シルバー
・22:スバル XV/color クールグレーカーキ
・23:スバル レヴォーグ/color シルバー
・24:スバル レヴォーグ レイバック/color サファイアブルー・パール
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